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「衛府〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

衛府の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
偸盗」より 著者:芥川竜之介
しにも、このくらいな事はわかるであろう。それもわしとおばばとは、まだわしが、左兵衛府《さひょうえふ》の下人《げにん》をしておったころからの昔なじみじゃ。おばばが....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
まったく眼がくらんでしまった。彼は再び恋のかたきを蹴倒して、腰に佩《は》いている衛府《えふ》の太刀に手をかけたかと思うと、闇にきらめいた切っ先は兼輔の烏帽子をは....
連環記」より 著者:幸田露伴
のあるべきでは無いから、増賀には俗僧どもの所為が尽く気に入らなかったのであろう。衛府の大官が立派な長剣を帯びたように、乾鮭の大きな奴を太刀の如くに腰に佩び、裸同....
源氏物語」より 著者:紫式部
報告した故人の家のことをなお帝は想像あそばしながら起きておいでになった。 右近衛府《うこんえふ》の士官が宿直者の名を披露《ひろう》するのをもってすれば午前二時....
源氏物語」より 著者:紫式部
物をかついだ供の人が加わった列は、霧の間を行くのが秋草の園のようで美しかった。近衛府《このえふ》の有名な芸人の舎人《とねり》で、よく何かの時には源氏について来る....
源氏物語」より 著者:紫式部
ともっともなことを願っていた。 源氏は花散里夫人の所へも寄った。 「中将が左近衛府の勝負のあとで役所の者を皆つれて来ると言ってましたからその用意をしておくので....
源氏物語」より 著者:紫式部
ろうとするのであった。源氏の二種の香はこの時になってはじめて取り寄せられた。右近衛府の溝川のあたりにうずめるということに代えて、西の渡殿の下から流れて出る園の川....
源氏物語」より 著者:紫式部
ため今日の式のはなやかさはすぐれたものに思われた。四十匹の馬が左馬寮、右馬寮、六衛府の官人らによって次々に引かれて出た。おそれ多いお贈り物である。そのうち夜にな....
源氏物語」より 著者:紫式部
院の御養女の婿であり、御子息であったから列席するのがむろんで、そのために左右の近衛府の中将に競技の参加者が多くなり、小弓という定めであったが、大弓の巧者な人も来....
源氏物語」より 著者:紫式部
てきた苦しい思いだけでもおささやきしたいと思った大将は、従者を呼ぶと、もとは右近衛府の将監であって、五位になった男が出て来た。大将は近く招いて、 「こちらへ来て....
源氏物語」より 著者:紫式部
れたが、大将もりっぱであったし、宮もきわめてごりっぱなお姿と見えた。この日は右近衛府の下僚の招宴をして纏頭を出すならわしであったから、自邸でとは言っていたが、近....
源氏物語」より 著者:紫式部
あると浮舟を悲しんだ。あの常陸守の子で仕官していたのは蔵人にしてやり、自身の右近衛府の将監をも兼ねさせてやった。まだ童形でいる者の中できれいな顔の子を手もとへ使....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
|家人もしくは郎等の称をもって知らるる武士その物と性質を一にす。奈良朝における中衛府の兵士これを東舎人と称す。東人をもって組織せる兵士の義なり。同じころにおける....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
の東人の忠勇は、決して昔の佐伯部に劣らぬものでありました。聖武天皇は東人を以て中衛府を組織されました、宮中を衛るの義で、後の近衛府の起原を為したものでありますが....
三国志」より 著者:吉川英治
から、曹操の兵が城外におびただしく、禁門の出入りも何となく常と違うので、早くから衛府に詰めていた玄徳は、それと見るや、自身、逍遥馬の口輪をとって、帝のお供に従っ....