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衣鉢
「衣鉢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
衣鉢の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
忘れそうな子孫の末を心配しながら死んだ。 伏見屋の金兵衛は、この惣右衛門親子の
衣鉢を継いだのである。そういう金兵衛もまた持ち前の快活さで、家では造り酒屋のほか....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
」 もともと養父金兵衛は木曾谷での分限者に数えられた馬籠の桝田屋惣右衛門父子の
衣鉢を継いで、家では造り酒屋のほかに質屋を兼ね、馬も持ち、田も造り、山林には木の....
「雷峯塔物語」より 著者:田中貢太郎
、何故生を軽んじる、事情があるなら商量にあずかろうじゃないか」 法海禅師が背に
衣鉢を負い手に禅杖を提げて立っていた。許宣はその傍へ飛んで往った。 「どうか私の....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
、大いに弁じてくれたし、休暇中に、うやむやになって、危く、五年まで行ったが、この
衣鉢《いはつ》を、黒田新(帝展特選になった洋画家)がついで、時々学校をやっつけて....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
刀流の本源をたずぬれば、その開祖は伊豆の人、伊藤一刀斎|景久《かげひさ》で、その
衣鉢《いはつ》を受けたのが神子上典膳忠明《みこがみてんぜんただあき》(小野治郎左....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
ていった。戴氏|独立の表石の事は始て聞いた。池田氏の上のみではない。自分も黄檗の
衣鉢を伝えた身であって見れば、独立の遺蹟の存滅を意に介せずにはいられない。想うに....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
弟子よりも先生の方がよっぽど熱心であった。 その稽古腰の強いこともたしかに翁の
衣鉢を嗣いでいた。(佐藤文次郎氏談) ◇ 翁の門下には名物....
「ルクレチウスと科学」より 著者:寺田寅彦
る。 エネルギー不滅論の祖とせらるるロベルト・マイアーは最もよくルクレチウスの
衣鉢を伝えた後裔であった。しかし彼は不幸にしてその当代の物理学に精通しなかったた....
「蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
を軽んじる、事情があるなら商量にあずかろうじゃないか」 そこには法海禅師が背に
衣鉢を負い手に禅杖を提げて立っていた。許宣はその傍へ飛んで往った。 「どうか私の....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
をつけさせようとは少しもしなかった。(訳者注 旧約エリアの故事、――彼はエリアの
衣鉢を継がんとはしなかった)彼は事変の暗黒な大浪の上に何ら未来の光明を投じようと....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
。ガプの司教サジテールがアンブロンの司教サローヌの兄弟であり、二人ともモンモルの
衣鉢《いはつ》を継いだからです。しかし、そういうことも結局どれだけの影響がありま....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
そして「今日以後永く他宗折伏を停めるならば、城西に愛染堂を建て、荘田千町を付けて
衣鉢の資に充て、以て国家安泰、蒙古調伏の祈祷を願ひたいが、如何」とさそうた。この....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
ば、竹内式部先生が、書き記した奉公心得書を、講義している老人が、竹内式部先生の、
衣鉢を継いで勤王|抑覇の、運動を起こした紋也の父の山県大弐や、その同志の藤井右門....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
寒月ずくめの寒月の間というのが出来た位である。寒月の放胆|無礙な画風は先人椿岳の
衣鉢を承けたので、寒月の画を鑑賞するものは更に椿岳に遡るべきである。 椿岳の画....
「握り寿司の名人」より 著者:北大路魯山人
、支店特異の腕前は現在新橋|辺の寿司屋としては、まず第一に指を屈すべきで、本店の
衣鉢は継がれたわけである。しかし、支店みっちゃんの方はうまいにはうまいが、旧式立....