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「被官〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

被官の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
阿部一族」より 著者:森鴎外
を慕って入り込んだ家来の一人が駈けつけて、肩にかけて退いた。 今一人の柄本家の被官《ひかん》天草平九郎というものは、主の退《の》き口《くち》を守って、半弓をも....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
、一度は陶に味方をしてその悪業を見遁しているのである。 尤も元就は、大内義隆の被官ではあるが必ずしも家来ではない。だから晴賢討伐の勅命まで受けているが、それも....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
陣の中川瀬兵衛清秀は、光秀軍の右翼伊勢与三郎等の軍に向った。中川は、元荒木村重の被官で、以前此の山崎附近の糠塚で、和田伊賀守と云う剛将を単身で打ち取った剛の者で....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
の一勢力として人民に施術をしていたが、時勢移って藤原氏となるや、にわかに藤原氏の被官となり優柔不断の殿上人どもは好んで顔の手入れをさせた。源平二氏の争った頃には....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
の説があって、前後が上記と反対しているのもある。 澄元契約に使者に行った細川の被官の薬師寺与一というのは、一文不通の者であったが、天性正直で、弟の与二とともに....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
て帰った。大作は事|露れて捕えられたということである。 津軽家の祖先が南部家の被官であったということは、内藤恥叟も『徳川十五代史』に書いている。しかし郷土史に....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
際に大勢はその打破に向って進みつつあったのだ。かの守護あるいはその下にある有力な被官人らが荘園を横領し、年貢を本所領家に運ばなくなったのは、すなわち成るべきよう....
水魔」より 著者:田中貢太郎
たが、池の傍の群集の雑沓は、活動写真の楽器の音をまじえて騒然たる響を伝えていた。被官稲荷の傍の待合を出た一人の女は、浅草神社の背後を通って、観音堂の横手に往こう....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、それが今上の御料に移されておりますゆえ、畏れあれど、申さばわが家は、朝廷の一|被官でもござりまする」 「それ御覧じ。お血筋といえば北条殿には劣らぬ正しい源家の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、武門の名折れになりましょうか。――元をただせば、楠木家とて、北条幕府の下の、一被官だったもの。――足利家もまたしかりです。――が、世の乱脈に会い、幕府の命脈も....
私本太平記」より 著者:吉川英治
な数である。野望の謀反や悪行のすえ亡んだ主家はぜひもないが、その下に使われていた被官や家来の小領地は、どしどし、元の所有者へ返してやれと、尊氏はいう。 また、....
茶漬三略」より 著者:吉川英治
までが、持萩中納言の息女であったとか、彼は藪中納言|保広の落胤であるとか、織田|被官の足軽から帰農した百姓|弥右衛門の子というのが真であるとか、噂や蔭口もまちま....
黒田如水」より 著者:吉川英治
理であろうよ。われわれ譜代の臣とはちがい、つい父の代からご当家に縁故をむすんだご被官に過ぎぬ」 「そういわれれば、元々、目薬屋の伜どの。ついわれらどもが、ご家老....