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「襲用〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

襲用の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
国語音韻の変遷」より 著者:橋本進吉
の結果かと思われるが、その径路は今明らかでない。奈良朝においても、その結果だけが襲用されたもので多分に形式化したものであったろう。そうして同じ語でもこの例に従わ....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
、宰相|蕭何《しょうか》が律九章を定めた時も、また秦の名称に従って具律という名を襲用した(唐律疏義)。魏の劉劭《りゅうしょう》が魏律十八編を制定した時には、漢の....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
ることに極まって、比良野氏の娘分にせられた時、翳の名を以て届けられたのは、これを襲用したのである。さて暫く勤めているうちに、武芸の嗜のあることを人に知られて、男....
詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
ように魅力することを欲するけれども、必ずしも音楽が具備する楽典の法則を、そのまま襲用する必要はない。なぜならば詩は文学であり、言語を用いる表現である故に、自《お....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
れた。徳川家の世になって甲州の仕法《しほう》は、いっさい信玄の為し置かれたままを襲用して差支えなしということであったが、ただ一つ、甲州の軍勢が用いた毒矢だけは使....
芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
は文学といい、建築といい、彫刻といい、哲学といい、科学といい、皆ギリシアのものを襲用した。 けれどもローマ哲学に見るべきものがなかったことは、世に定説がある。....
文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
。演段という術語は支那でも宋の頃から多少行われたようであるが、和算家もその術語を襲用した。しかし後にはこの演段のことを解義と称するに至った。和算には演段術と称す....
俳人蕪村」より 著者:正岡子規
村は傍若無人の振舞いをなしたる者と謂うべし。しかれども百年後の今日に至りこの語を襲用するもの続々として出でんか、蕪村の造語はついに字彙《じい》中の一隅を占むるの....
申訳」より 著者:永井荷風
円と少しずつせり上げ、結局七八拾円のところで折合うのが、まずむかしから世間一般に襲用された手段である。僕もこのつもりで金高を質問したのである。ところが相手は是ま....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
の文字を以て我が日本国家を表わすことは、もと支那人の誤り用いたところをそのままに襲用したもので、応神天皇以来の支那の南朝諸国との交通の際には、便宜その文字を用い....
孔子」より 著者:和辻哲郎
、必ずしも右のごとき緊密な文化圏の統一を示すものではない。フェニキアの音綴文字を襲用した諸文化国がフェニキア文化の圏内に統一せられていると言えないように、漢字を....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
い。いかに外国の様式そのままであってもそれは日本人の美術であり得る。外来の様式を襲用することは、それ自身恥ずべきことではない。その道において偉大なものを作り出せ....
露伴先生の思い出」より 著者:和辻哲郎
な文字があれば、象形的に全然つながりのない語に対しても、同音である限りその文字が襲用せられていること、などは、わたくしは先生から教わったのである。子供の時以来漢....
尊攘戦略史」より 著者:服部之総
は、たちまち、幕政を改革して大藩の権力を伸張せんとする雄藩ブロックの戦略語として襲用された。 斉昭の尊王攘夷唱導は、たまたまその子|慶喜《よしのぶ》の将軍職立....