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西下
「西下〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
西下の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
を失った。大久保利通は、悒鬱の余り、終夜|睡る事が出来なかったと云う。そして自ら
西下して、西郷に説こうとしたが、周囲の者に止められた。岩倉具視も心配の極、勝安房....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
二)が、改めて征討の正使として、嫡男甲斐守輝綱(此時十八)以下従士千三百を率いて
西下したのは、寛永十四年|極月二十八日であった。副使は美濃大垣の城主戸田左門|氏....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
が持参した書面を受け取った。その書面は特に幕府から諏訪藩にあてたもので、水戸浪士
西下のうわさを伝え、和田峠その他へ早速人数を出張させるようにとしてあった。右の峠....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
うた。兆民は前年の暮に保安条例に依って東京を逐われ、大阪|東雲新聞社の聘に応じて
西下する途次、静岡には来たのである。六月三十日に保の長男|三吉が生れた。八月十日....
「明治三十二年頃」より 著者:寺田寅彦
書かせるのであった。何という題であったか忘れたが、自分が九歳の頃東海道を人力車で
西下したときに、自分の乗っていた車の車夫が檜笠を冠っていて、その影が地上に印しな....
「決戦川中島 上杉謙信の巻」より 著者:坂口安吾
下を掌握しうるものと考えている。余の領内に内乱を策し、余を釘づけにしてそのヒマに
西下をはかり天下を掌握しうるものと考えている。その根性がイヤなのだ。かの入道を叩....
「投手殺人事件」より 著者:坂口安吾
にきかせてくれ」 「よろしい。三日あとに吉報もってきます」 煙山はただちに再び
西下した。 国府と桃山に当ってみると、百万円ならOKだという。煙山はよろこんだ....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
に遊んで、祇園の大友という茶屋で発病してその家に十数日横臥し、介抱のために妻君が
西下して来たような事もあったとの事である。然しその頃の漱石氏の消息は私は委しくは....
「わが寄席青春録」より 著者:正岡容
て、両君の感慨は如何。 ところで私の方は、この時宝塚の女優と別れたのが原因で、
西下放浪加うるにその前後、いかんとしても寂しさの棄てどころがなく、たいていもうや....
「棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
も有名なる、棚田晃一郎氏(四十四歳)、もう一人の紳士は、病気見舞のため四、五日に
西下、同判事宅に逗留中の、同じく東京高等裁判所判事井沢孝雄氏(四十六歳)と判明、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
北畠|顕家が、北の精兵七千騎をひきつれ、長途、王軍をたすけるべく疾風迅雷のように
西下して、はや不破を越え、今日にも、近江|愛知川には着くであろうとのことだった。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
堂、上杉、吉良などの幕将をつれて、陸に立った。――いやこれらの股肱の者のほかに、
西下途中の室ノ津へ、持明院統の院宣をもたらして来て尊氏にそれをさずけた光厳院の御....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の勢力は強大だったため、幕府は、さらに、松平信綱や戸田氏鉄などを、首将に任命して
西下させたが、その間に、板倉重昌の戦死するなど、一時、西日本一帯に、騒然たるもの....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
、信長の勃興勢力というものを過小に観ているきらいがある。 その証拠には織田軍の
西下を、「かりに」とか、「たとえ来ても」とかいっているが、織田対毛利の衝突は、い....