西南[語句情報] » 西南

「西南〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

西南の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
。そこで本間さんは思い出したように、白葡萄酒の杯をとりあげながら、わざと簡単に「西南《せいなん》戦争を問題にするつもりです」と、こう答えた。 すると老紳士は、....
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
がありはしないか。現代の日本は暫く措《お》いても、十四世紀の後半において、日本の西南部は、大抵|天主教《てんしゅきょう》を奉じていた。デルブロオのビブリオテエク....
生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
。犬のような敏捷さで方角を嗅ぎ慣れている漁夫たちも、今は東西の定めようがない。東西南北は一つの鉢の中ですりまぜたように渾沌としてしまった。 薄い暗黒。天からと....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
、パリを大兵力をもって攻囲した上、更に七軍団(十四師団)の強大な兵団をもってパリ西南方から遠く迂回し、敵主力の背後を攻撃するという真に雄大なものでありました(二....
春昼」より 著者:泉鏡花
あり、無縁になった墓地もあり、頻に落ちる椿もあり、田には大な鰌もある。 あの、西南一帯の海の潮が、浮世の波に白帆を乗せて、このしばらくの間に九十九折ある山の峡....
多神教」より 著者:泉鏡花
巫女 知らぬ、とおっしゃる。 神職 いや、神々の道が知れませいでは、世の中は東西南北を相失いまする。 媛神 廻ってお歩行きなさいまし、お沢さんをぐるぐると廻し....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
んには、王政維新の後に至りてもまた機会なきにあらず。その機会はすなわち明治十年の西南戦争なり。当時|薩兵の勢、猛烈なりしは幕末における長州の比にあらず。政府はほ....
三枚続」より 著者:泉鏡花
名を紋三郎といって大の怠惰者、若い女房があり、嬰児も出来たし、母親もあるのに、東西南北、その日その日、風の吹く方にぶらぶらと遊びに出て、思い出すまでは家に帰らず....
妖怪学」より 著者:井上円了
宗|所依の経に『阿弥陀経』あり。この経の末に六方の段というところあり。六方とは東西南北上下なり。この六方の段を読むに、六方のうち一方を落として読むときは、狐は落....
迷信解」より 著者:井上円了
に考うるに、東北隅の方位の不吉なる道理は決してないはずである。たとえ地球の上に東西南北の別あるも、これもとよりたとえに過ぎぬ。もし出でて地球外に至らば、宇宙その....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
と、二葉亭自身の口から聞いた。 二葉亭の伯父で今なお名古屋に健在する後藤老人は西南の役に招集されて、後に内相として辣腕を揮った大浦兼武(当時軍曹)の配下となっ....
想い出」より 著者:上村松園
の府立女学校校長を兼ねました吉田秀穀という先生が校長で、生徒は百人余り、組織は東西南北の四宗に別れていまして、東宗は柔らかい四条派で望月玉泉先生、西宗は西洋画で....
西航日録」より 著者:井上円了
。今夕、福島将軍入港の報あれども、帰船後にして相会するを得ず。二十九日暁天解纜、西南に向かいて進行す。船客みな夏装をなし、食時扇風を用う。 三十日(日曜)午後....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
加わり、海潮を甲板上に打ち込むこと幾回なるを知らず。船病者多し。ただし風位一変、西南より吹き来たるために、また冬寒を覚ゆ。 二十六日、曇晴。暁天、雲破れて日光....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
コリンの失敗はほとんど致命的と云うべき結果であったのに、更に仏・巴軍が西方および西南方より迫り来たったので形勢愈々急である。幸い墺軍の行動活発ならざるに乗じ大王....