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「西堂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

西堂の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
阿部一族」より 著者:森鴎外
のである。 中陰の四十九日が五月五日に済んだ。これまでは宗玄をはじめとして、既西堂《きせいどう》、金両堂《こんりょうどう》、天授庵《てんじゅあん》、聴松院《ち....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
道明寺附近で遭遇して激戦の末戦死した。之より前家康、本田正信の親族、相国寺僧|揚西堂をつかわし基次に帰降を勧めた事がある。その時、基次「大阪方の運開け関東危しと....
八人みさきの話」より 著者:田中貢太郎
った。 元親の怒に触れて死を賜わった者は、他に比江山親興、永吉飛騨守、宗安寺真西堂、吉良彦太夫、城内大守坊、日和田与三衛門、小島甚四郎、勝賀野次郎兵衛実信の八....
雪の宿り」より 著者:神西清
お指金でむざんにも家督を追われ、つむりを円められて、人もあろうにあの蔭凉軒の真蘂西堂のもとに、お弟子に入られたのでございました。このお痛わしいお弟子入りについて....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の頃に始まっている。当時の沢庵は、未来の鋒鋩を蔵しつつ、まだ泉州堺|大安寺の文西西堂について、学徳の切磋に孜々たる頃であった。 (彼が法業の功を認められて、沢庵....
山の人生」より 著者:柳田国男
として斥けず、むしろ意味ありげに語り伝えるのが普通であった。会津の或る寺でも守鶴西堂の天目を什宝とし、稀有の長寿を説くこと常陸坊海尊同様であったが、その守鶴もや....