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西教
「西教〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
西教の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
以上記した十個の記録が、歴史あって以来富士に関する最も有名の爆発であるが、尚
西教史による時は、慶長十二年富士焚とあり、また甲信譜による時は、享禄以降元亀天正....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
、いくつかの風土論や「日本精神」という短文、を参照しなければならぬ。――なお之を
西教授の『東洋倫理』ともっと詳しく比較出来たら面白いと思う。)
八 ....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
になる。 問題はただ、文部省内部に於ける対立が、広島文理科大学に於ける、西閥(
西教授の意志に反すると否とに関係なく)と反西閥との対立とが、偶々武部学長(?)を....
「蠹魚」より 著者:宮本百合子
に叢書、類書等を総括している。漢書之部も、第一門が四書、五経や孝経、儒家、諸子、
西教等を包括している。 今日の図書館員の目から見れば、此那大ざっぱな、まとまり....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
菊の葉を見て見給え、飛雲閣の柳の幹と枝のいかに悠大にして自然なるかを見て見給え、
西教寺の柿と柚《ゆず》の二大君子の面影《おもかげ》に接して、襟を正さないものがあ....
「細木香以」より 著者:森鴎外
十三 本郷の追分を第一高等学校の木柵に沿うて東へ折れ、更に北へ曲る角が
西教寺と云う寺である。
西教寺の門前を過ぎて右に桐の花の咲く寄宿舎の横手を見つつ行....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
が、甚深の感化を受けたのは、そのころ高徳の聖《ひじり》として朝野に深く渇仰された
西教寺の真盛上人であった。実隆は宮中やその他において、上人の講釈説教等を聴聞した....
「撥陵遠征隊」より 著者:服部之総
義の火蓋を切った。 同様のことは十七年前にもあって、およそ十八世紀末以降の朝鮮
西教史は、保護者フランスの面目丸つぶれといった形だったが、一八六六年(慶応二)と....
「三国志」より 著者:吉川英治
の武威も知らんのでそんな囈言を申すとみえる。――楊修」 「はい」 「明日、衛府の
西教場で、大兵調練の閲兵をなすことになっておるから、汝は、張松を連れて、見物に来....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
代にわたる安土桃山文化期の一ころには、ザビエルだのヴィレラだのフロイスなど、日本
西教史中の宣教師たちも、みな一度は立ち寄っているらしく、フロイスの日本通信には「....