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要衝
「要衝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
要衝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「乱世」より 著者:菊池寛
って来るといったような風聞が、ひっきりなしに人心を動かした。 桑名は、東海道の
要衝である。東征の軍にとっては、第一の目標であった。その上、元治元年の四月に、藩....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
うと思う。 三月四日に、第一回の田原坂攻撃が始まる。前夜、先ず、山鹿南関の間の
要衝に兵を派して厳戒せしめた。これは薩軍が迂回して背後を衝くのを慮ったからである....
「武装せる市街」より 著者:黒島伝治
は、膠済鉄路が青島から西に向ってのび、津浦線と相合して三叉路を形作っている。その
要衝に陣取っていた。 幹太郎は、ここから、青島まで、九時間、支那人が唾や手洟を....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
わせた予測が実現されかけていた。軒を並べた人家があり、道は踏みかためられて当路の
要衝となっている。西えぞに必要な人と貨物が先ずここに陸あげされるのであった。埠頭....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
ったことだったろう。 此処は当時|明や朝鮮や南海との公然または秘密の交通貿易の
要衝で大富有の地であった泉州堺の、町外れというのでは無いが物静かなところである。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
まき》であり、大垣であり、岐阜であり、清洲《きよす》であり、東海道と伊勢路、その
要衝のすべてが、尾張名古屋の城に集中する。
今し、彼等の間に拡げられた大地図は....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
うとする時に、この茶屋の前がまたにわかに物騒がしくなりました。
それは、往還の
要衝たる渡頭のことですから、相当|賑《にぎ》やかなのは当然のことですが、賑やかと....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
その米友が、今は脆《もろ》くもこの運命に立至って、不憫《ふびん》や、この東海道の
要衝の晒し者として見参せしめられている。 彼は今や、彼相当の観念と度胸とを以て....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
。 小関はすなわち逢坂《おうさか》の関の裏道であって、本道は名にし負う東海道の
要衝であるにかかわらず、この裏道には、なお平安朝の名残《なご》りをとどめて、どう....
「蛍」より 著者:織田作之助
見へ着き、そこから京へはいるという道が普通で、下りも同様、自然伏見は京大阪を結ぶ
要衝として奉行所のほかに藩屋敷が置かれ、荷船問屋の繁昌はもちろん、船宿も川の東西....
「三国志」より 著者:吉川英治
なり)と、いわれた人物であった。 荀※がいうには、 「今いるこの地方は、天下の
要衝で、あなたにとっては、大事な根拠地です。その※州も奪還できなかったら、あなた....
「三国志」より 著者:吉川英治
「おお」 「荊州の地たるや、まことに、武を養い、文を興すに足ります。四道、交通の
要衝にあたり、南方とは、貿易を営むの利もあり、北方からも、よく資源を求め得るし、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
姓の人物なのか。 ――左近が語るところを次に陳べてみるならば。 この近江路の
要衝を占める愛知、犬上、坂田の諸郡にまたがる豪族といえば、古くから近江源氏と世に....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、心外な」 と、単純な彼は、すぐムキな顔になった。 「一朝のばあいには、近江の
要衝を占むる佐々木の向背こそ大事との仰せに、拙者が心をくだいて、お親づきまでは計....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
め、それの監察にまいるのだ。すなわち、執権高時公のお目代りを仰せつかって、近江の
要衝に堅陣を布き、それらの不審を見まもるために西上するのだ。おてまえの御主人にも....