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「親不知〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

親不知の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
山椒大夫」より 著者:森鴎外
に船路を行くことを勧めた。陸を行けば、じき隣の越中の国に入る界《さかい》にさえ、親不知子不知《おやしらずこしらず》の難所がある。削り立てたような巌石の裾《すそ》....
海に生くる人々」より 著者:葉山嘉樹
飲み所兼監督の詰め所の交番ようのものが「置い」てあった。 彼らは、石炭と海との親不知《おやしらず》、石炭と石炭との山の谿間《たにま》を通って、夕張《ゆうばり》....
単独行」より 著者:加藤文太郎
ても明日は楽です。第六日、姫川を下って大野村から自動車に乗り糸魚川にいたる。後|親不知の嶮を見、市振で午後五時三十七分の汽車に乗れば、金沢へ同九時二分着、第七日....
新版 放浪記」より 著者:林芙美子
見る事が出来なかったけれども、この外房州は裏日本よりも豪快な景色である。市振から親不知《おやしらず》へかけての民家の屋根には、沢庵石のようなのが沢山置いてあった....
湯女の魂」より 著者:泉鏡花
から汽船に乗りますと、富山の岩瀬、四日市、魚津、泊となって、それから糸魚川、関、親不知、五智を通って、直江津へ出るのであります。 小宮山はその日、富山を朝立、....
黒百合」より 著者:泉鏡花
道中土を蹈まさず、動殿のお湯殿子調姫という扱いで、中仙道は近道だが、船でも陸でも親不知を越さねばならぬからと、大事を取って、大廻に東海道、敦賀、福井、金沢、高岡....
過剰の意識」より 著者:中井正一
何年前であったか、親不知子不知のトンネルをでたころであった。前に座っていた胸を病んでいると思える青....
放浪記(初出)」より 著者:林芙美子
の秋も見る事が出来なかったが、此外房州は、裏日本よりも大まかな気がする。市振から親不知へかけての民家の屋根に、沢庵石のようなものが、ゴロゴロ置いてあったのや、線....
取舵」より 著者:泉鏡花
にして七十八歳の翁は、手引をも伴れざるなり。手引をも伴れざる七十八歳の盲の翁は、親不知の沖を越ゆべき船に乗りたるなり。衆人はその無法なるに愕けり。 渠は手も足....
小説 円朝」より 著者:正岡容
れこれとなく貪り読んだ。 と――中から二つの暗示が得られた。 ひとつが越後|親不知《おやしらず》の因縁噺で「累草紙《かさねぞうし》」。 もうひとつが艶っぽ....
瓜の涙」より 著者:泉鏡花
人の往来はバッタリない。 大空には、あたかもこの海の沖を通って、有磯海から親不知の浜を、五智の如来へ詣ずるという、泳ぐのに半身を波の上に顕して、列を造って....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
にも神様が目をお突きになったという類の、古い伝説があったのかも知れません。越後の親不知の海岸に近い青木阪の不動様は、越後信州東京の方の人は、不動様といって拝み、....
黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
というような場合には、原因は実際饑渇の為であっても、俗には不帰谷とか悪谷とか又は親不知子不知といった風の名で呼ぶのが、日本人には普通のようである。赤鬼、餓鬼、夜....