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親征
「親征〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
親征の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
に入り、海南諸勝に遊び、十一月還りたもう。此歳阿魯台反す。二十年永楽帝、阿魯台を
親征す。二十一年建文帝|章台山に登り、漢陽に遊び、大別山に留まりたもう。 二十....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
は、いずれも攘夷派の志士が建白にもとづくという。のみならず、場合によっては帝の御
親征をすら望んでいる人たちのあることが報じてある。この京都|便りを手にするたびに....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
のに、初めて淀川の滔々と流るるのを御覧になって、さまざまのことを思し召され、外夷
親征なぞの御艱難はいうまでもなく、国家のために軽々しく龍体を危うくされ給うまいと....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、西洋の話も聞いたことがある。 人も知るごとく、通禧は文久三年の過去に、攘夷御
親征大和行幸の事件で長州へ脱走した七卿の一人である。攘夷主唱の張本人とも言うべき....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
術は一向利かなんだとある。『書紀』七や『豊後国風土記』には景行帝|熊襲《くまそ》
親征の時、五人の土蜘蛛《つちぐも》拒み参らせた。すなわち群臣に海石榴(ツバキ)の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
之助は仰いで高札《こうさつ》を見る。 「檄《げき》 此回《このたび》外夷御
親征のため、不日南都へ行幸の上御軍議あるべきにつき、その節御召に応じて忠義を励む....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
先住土着の民族の綏撫同化の事蹟については、四道将軍の地方巡察、景行天皇の熊襲
親征、日本武尊の西征東伐等、我が古史の伝うる所、またあえて尠少なりというではない....
「三国志」より 著者:吉川英治
一族の曹真は、このときも先鋒に当り、張遼、張※、呂虔などは中軍護衛として、皇帝
親征の傘蓋旌旗をまん中に大軍をよせていた。 呉のうけた衝動は大きい。 「かくも....
「三国志」より 著者:吉川英治
満寵そのほかの大将を従えて、合※の城へ進出した。 この防呉作戦については、叡帝
親征の事が決る前に、その廟議でも大いに議論のあった所であるが、結局、先帝以来、不....