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「親政〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

親政の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
の面上に漂う昂然たる喜色は、想像出来るであろう。 かくて建武中興の眼目なる天皇親政の理想は、実現されたのである。だがそれと同時に、早くも此の新政府の要人連の間....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
宇のことである。 その後出雲氏は蘇我氏に出入し多くの寵を蒙ったが、蘇我氏亡びて親政となるや冗官を廃する意味において忽ち官途を止められた。爾来民間の一勢力として....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
銃を携えさせて江戸城の内外を巡邏せしめるようになったというだけでも、いかに新将軍親政の手始めが旧制の一大改革にあったかがわかる。 この方針は地方にまで及んで行....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
。」 慶応四年正月十日御諱 ともかくも、その日は日本の天皇が外国に対する御親政の始めであった。 午後に、英国公使パアクスは東久世通禧と三宮英人殺傷事件の....
惜別」より 著者:太宰治
先の思想の研究家たちは、一斉に立って、救国の大道を示した。曰く、国体の自覚、天皇親政である。天祖はじめて基をひらき、神代を経て、神武天皇その統を伝え、万世一系の....
社会時評」より 著者:戸坂潤
我国憲法の根本原則は君民共治でもなく三権分立でも法治主義でもなくして一に天皇の御親政である。」六、議会は「天皇の御親政を、国民をして特殊の方法を以て翼賛せしめ給....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
持扱いかねている、そうすれば当然、政権は公家の手に戻り、大日本は一天万乗の君の御親政となる。そちは、それを悦ばしいとは思わぬか、早く、左様な時勢の来ることを望む....
前記天満焼」より 著者:国枝史郎
中斎は日頃の持論の方へ、話の筋を向けだした。 「日本は神国、帝は現人神、天皇様御親政が我国の常道、中頃武家が政権を取ったは、覇道にして変則であるが、帝より政治を....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ば南朝の論理の方がいささか文明さ。 建武中興の理想は武家政治や院政の否定、天皇親政復活ということであるが、皇位相続の正しい法則をどこに求めるかということになる....
だいこん」より 著者:久生十蘭
いるそうです。南京やマニラで、あそこまで気ちがいになれるひとたちなのですから、ご親政に対立してしまった以上、どんなことでもやりだすでしょう」 珠子さんは横から....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ことだけはたしかであった。その頃は院政の時代になっていて、摂関政治を抑え、皇室御親政の古にかえすという力が動いていたので、摂関家に抑えられていた反対勢力が、院の....
三国志」より 著者:吉川英治
、董允、蒋※の奇禍、等々、国家の不幸はかさなっていた。 最後となっては、劉禅の親政と、宦人黄皓の専横などが、いよいよ衰兆に拍車をかけていた。亡ぶものの末期的症....
私本太平記」より 著者:吉川英治
正し、施粥小屋数十ヵ所を辻々に設けて、飢民を救わせ給うたとも説く。 また、天皇親政このかた、おちこちの新関は撤廃し、記録所を興して、寺社の訴訟も親しく聴かれ、....
建国の事情と万世一系の思想」より 著者:津田左右吉
。六世紀より後においても、天皇はみずから政治の局には当られなかったので、いわゆる親政の行われたのは、極めて稀な例外とすべきである。タイカ(大化)の改新とそれを完....
日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
れていないことを示すものである。 なお一つ挙げて置くべきは、上代の政治は天皇の親政(すべての政治が天皇の意志から出、天皇が大小の政務を親ら執られるという意義で....