»
覲
「覲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
覲の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「煙管」より 著者:芥川竜之介
一
加州《かしゅう》石川|郡《ごおり》金沢城の城主、前田|斉広《なりひろ》は、参
覲中《さんきんちゅう》、江戸城の本丸《ほんまる》へ登城《とじょう》する毎に、必ず....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
常一様でないときに勃発したものですが、というのは、ちょうどこの日、尾州徳川様が参
覲《さんきん》交替のためにご出府なさいましたので、まえの日のお泊まり宿であった小....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
なものです。大名はどんなに小さくとも大名だけの格式を守って行かなければならず、参
覲交代もしなければなりませんから、内証はなか/\苦しい。したがって、一万石や二万....
「運命」より 著者:幸田露伴
て燕に還らしめ、内応を為さしむ。燕王|覚って之に備うるあり。二月に至り、燕王|入
覲す。皇道を行きて入り、陛に登りて拝せざる等、不敬の事ありしかば、監察御史曾鳳韶....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
「とはまた、どうして知ってじゃ」 「どうもこうもござりませぬ。今日その島津様が参
覲交替でお江戸入りの御道中遊ばします筈にござりまするゆえ、よく存じているのでござ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
くって通る旅人の群れの動きがこの街道に活気をそそぎ入れる。 西の領地よりする参
覲交代の大小の諸大名、日光への例幣使、大坂の奉行や御加番衆などはここを通行した。....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
るようになったと聞くが、真実だろうか。」 「その話はわたしも聞きました。」 「参
覲交代の御変革以来だよ。あの御変革は、どこまで及んで行くか見当がつかない。」 ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
郎や大久保一翁などの奔走尽力があったとしても、この解決は望めなかった。かつては参
覲交代制度のような幕府にとって重要な政策を惜しげもなく投げ出した当時からの、あの....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
必要となり、海岸防備の必要は徳川幕府および諸藩の経費節約となり、その経費節約は参
覲交代制度の廃止となり、参
覲交代制度の廃止はまたこれまですでに東山道を変えてしま....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
志で実行した。 春が逝き尽くして初夏が来た。そうして真夏が来ようとした。 参
覲交替で駿河守は江戸へ行かなければならなかった。 甲州街道五十三里を、大名行列....
「死者の書」より 著者:折口信夫
までに到って居なかった頃、姫の若い父は、近代の時世装に思いを凝して居た。その家に
覲ねて来る古い留学生や、新来の帰化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語り....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
一身死に向ふ途を患へず、唯二親世に在す苦を悲しぶ。今日長く別れなば、何れの世にか
覲ることを得む。乃ち歌六首を作りて死りぬ。其歌に曰く」というのである。そして長歌....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
て各家元の専門棋士を招き、棋力は進んで五段格を許されていた。諸国の碁天狗どもが参
覲交替で上京の折に盛名をきいて手合いに訪問すると、大そうなモテナシをうけるのはい....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
。「宿一杯知れていることだ」 「ああそうともそれはそうだ。宿一杯は愚かのこと、参
覲交代のお大名から、乞食非人の類まで、かりにも街道を通る者で、お前の追分を褒めね....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
て、追分の宿へ着いた。 四時煙を噴く浅間山の、山脈の裾に横たわっている宿場、参
覲交代の大名衆が――北陸、西国、九州方の諸侯が、必ず通ることに定まっている宿、そ....