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「観心〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

観心の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
は夢となります。 この重大問題を日蓮聖人の信者は曖昧にして過ごしているのです。観心本尊鈔に「当ニ知ルベシ此ノ四菩薩、折伏ヲ現ズル時ハ賢王ト成ツテ愚王ヲ誠責シ、....
詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
く。故に絵画の鑑賞には、常に静かな秋空があり、澄みきった直感があり、物に動ぜぬ静観心と叡智《えいち》の行き渡った眼光がある。それは見る人の心に、或る冷徹した、つ....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
」 と思わずそこに立停ったことがよくある。何という清澄さであろう。すぐれた哲人の観心の生涯を他にしては、この世でまたと見られない味である。桔梗色に澄み切ったまま....
新西遊記」より 著者:久生十蘭
《しゅうげ》という順でやっていく。智海は卅一年の五月に中座に進み、その年いっぱい観心と玄義をやり、卅二年の暮に小導師の位をとった。 そうしているうちに、毎年、....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
に詳しい川崎千虎先生が調べました。先生はこの調査のためにわざわざ河内国へ出張し、観心寺および信貴山、金剛寺その他楠公に関係ある所へ行って甲冑を調べたのです。また....
楠公夫人」より 著者:上村松園
けてみ、楠公夫人のみ姿を心の中で描いてみた。 スケッチがすむと私は夫人ゆかりの観心寺その他を一巡して往時を偲んだ。 もう一年にもなるが、私の楠公夫人はまだ下....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
は、天平の観音のいずれにも見られないような一種|隠微な蠱惑力を印象するのである。観心寺の如意輪観音に密教風の神秘性が遺憾なく現われているとすれば、あの観音に似た....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いうのを領境まで見送っての帰り、馬上、ふウふウ喘いながら戻って来た。 すると、観心寺道から、石見川ぞいに、里の方へ下りて来た四、五人づれの郷武者たちが、 「や....
私本太平記」より 著者:吉川英治
たといわれております」 「中院(楠木家の菩提寺)の者までもか」 「はい。……いや観心寺の法師らなどは、寺中でおこなわれた激論の座を蹴って、十数名の法師が、笠置へ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
…ム、どこかそこらの峰で一ト息つこうぜ」 ここまでには、もちろん寺元村の木戸、観心寺の柵、下赤坂の陣地など、すでに七、八ヵ所の寄手の軍区域は抜けていた。 そ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、ほか幾ツもの小さい嶂巒や峰が、ふところの襟もとをなしていて、麓からの中津原道、観心寺道、ほか一道の三ツを峡門の口で括ッているのである。 「あのあたりで、鈴ヶ滝....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いいのかしらと思うのです」 「悪いことを、母がさせておくはずはない。あいかわらず観心寺の御坊の許へ通って、勉強はしているのであろうが」 「はい」 「それでいいの....
私本太平記」より 著者:吉川英治
寺へ納めにおいでられる。――いやそんな御奇特は一再でない。さきにも天野山金剛寺や観心寺やまた久米田寺などへも、同様な納経をしておいでになった。――すべてそれは一....
私本太平記」より 著者:吉川英治
奉公もこれまでと弓矢も思い断っていた。そして河内へ行き、いらい二十二年の長い間、観心寺の片すみに一庵をむすんで、人知れず正成の掃墓をしていた。 これを彼は「尊....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
んな河内紀行だが、もう枚数がない。またの機会に書くとする。ただ同日、小雨の中を、観心寺、赤坂、水分、楠木氏夫人の遺蹟など、多大な労をとって下すった郷土の諸氏に、....