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「觚〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

觚の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
せしめ、且雑誌の編纂及び寄書に対する報酬をも厚うして、夫までは殆んど道楽だった操をしてプロフェッショナルとしても亦存在し得るような便宜を与えたのは日本の文芸の....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
巻川に猶わたる世は」と詠じたという一節がある。何という凄惻の悲史であろう。同じ操に携わるものは涙なしには読む事が出来ない。ちょうどこの百七十七回の中途で文字が....
我が円朝研究」より 著者:正岡容
亥大震災後、ようやくに文学というもの企業化し、全くのジャーナリズム王国築かれて操《そうこ》世界へ君臨するようになって以来のこととおもう。そのころ発兌《はつだ》....
十五年」より 著者:山本実彦
するならば、その成長を自由ならしむべき方途に出でなければならぬのだ。 私は、操者として過去三十年間くらしてみたが、この一年ほど言論の自由や、発表の問題につい....
二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
ての天下国家の経綸を鼓吹したので、松下村塾の吉田松陰を任じていた。それ故に同じ操でも天下の木鐸としての新聞記者を希望して、官報局を罹めた時既に新聞記者たらんと....
四十年前」より 著者:内田魯庵
治家もまた今よりは芸術的好尚を持っていた。かつ在官者よりも自由であって、大抵|操に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳....
十日の菊」より 著者:永井荷風
をなすに当って設備の道を講ずるは毫《ごう》も怪しむに当らない。或人の話に現時|操《そうこ》を業となすものにして、その草稿に日本紙を用うるは生田葵山《いくたきざ....
正宗谷崎両氏の批評に答う」より 著者:永井荷風
さんじん》が出た。以上の諸名家に次《つ》いで大正時代の市井狭斜の風俗を記録する操者《そうこしゃ》の末に、たまたまわたくしの名が加えられたのは実に意外の光栄で、....
怪談牡丹灯籠」より 著者:鈴木行三
り寔に其の文の巧妙なるには因ると雖も彼の圓朝の叟の如きはもと文壇の人にあらねば操を学びし人とも覚えずしかるを尚よく斯の如く一吐一言文をなして彼の爲永の翁を走ら....
濹東綺譚」より 著者:永井荷風
るから、今では結局|憚《はばか》るものはない。ただ独《ひとり》恐る可《べ》きは操《そうこ》の士である。十余年前銀座の表通に頻《しきり》にカフエーが出来はじめた....