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言文一致体
「言文一致体〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
言文一致体の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
間を研究し、論語を読み、焼芋《やきいも》を食い、鼻汁《はな》を垂らす人である」と
言文一致体で一気呵成《いっきかせい》に書き流した、何となくごたごたした文章である....
「私の母」より 著者:堺利彦
んはおれが出す」と言った調子である。明治二十二年に、八十に近いお婆さんが、大胆な
言文一致体で手紙を書いていたのである。これらのことも、私に取っては確かに多少の誇りであった。....
「言語体の文章と浮雲」より 著者:幸田露伴
同君の名を知り伎倆を知り其執筆の苦心の話をも聞知ったのでありました。 当時所謂
言文一致体の文章と云うものは専ら山田美妙君の努力によって支えられて居たような勢で....
「名人長二」より 著者:三遊亭円朝
るの深き、静養の間更に名人競の内として木匠長二の伝を作り、自ら筆を採りて平易なる
言文一致体に著述し、以て門弟子修業の資と為さんとす。今や校合成り、梓に上せんとす....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
事と期待されておりましたのに、案に相違して、その頃まではまだ普及されていなかった
言文一致体の、しかも、俗語や方言|混りで書いてあるのでした。その上にその主張して....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
って、西鶴調なるものが復活したのである。これは、山田美妙斎などによって提唱された
言文一致体の文章に対する反抗となったものであって、特に露伴君の文章なぞは、大いに....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
え、相談したのでも申合わしたのでもなかったが、相期せずして幼友達同士のこの二人が
言文一致体を創めたというは頗る不思議な因縁であった。尤もこれより以前、漢字廃止を....
「西航日録」より 著者:井上円了
を隔てて、スエズ以西に日本船と会するは、余が大いに愉快とするところなり。よって、
言文一致体の歌をつづりて、その喜びを述ぶ。 天日は云ふに及ばず旗までも世界を照す....