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「記念碑〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

記念碑の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
置いて逝《ゆ》きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜....
愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
ど全部である。この書の出版は自分にとって二つの意味を持っている。一は自分の青春の記念碑としてであり、二は後れて来たる青春の心たちへの贈り物としてである。自分は今....
縷紅新草」より 著者:泉鏡花
いていたんですが、近年他国の人たちが方々から尋ねて来て、世評が高いもんですから、記念碑が新しく建ちましてね、名所のようになりました。それでね、ここのお寺でも、新....
肝臓先生」より 著者:坂口安吾
そかに石の肝臓を指した。 「これなる肝臓はわが畏友、わが師、医学士赤城風雨先生の記念碑である。われら同志よりつどい、先生の高徳をケンショウしてそぞろ歩きの人々に....
家なき子」より 著者:楠山正雄
ニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の開鑿者であるリケの記念碑が、大西洋に注ぐ水と地中海に落ちる水とが分かれる分水嶺の頂に建てられてあっ....
家なき子」より 著者:楠山正雄
たとき見て早飲みこみに思ったようなどろまみれの町でもないことがわかった。わたしは記念碑を見た。その中へもはいってみた。波止場通り、大通りをも、リュクサンプールの....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
元の島民によってである。何合目かの茶店の前には、始祖御休憩の地というような大きな記念碑が立っていたのである。 大島は地下水のないところだから、畑もなく、島民は....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
を、ついに五千年の人智の苦闘の後に征服する大施設というものは、これこそ真に文化の記念碑であり、我々の努力は、すべて過去の遺跡の如きものを失っても、かような建設の....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
道といわず石という石がミカゲ石だね。牡鹿半島の石は、非常に大きな、たとえば公園の記念碑のような一枚石をカンタンに道路用などに用いているのが特色さ。 私が牡鹿半....
名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
の面影を認めざるを得ない。十数年前までは、視野のまん中に、はるかむかうに日清戦争記念碑が、生殖器崇拝論者を喜ばせさうな形をして突立ち、なくもがなの感じを起させた....
葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
払い空地となし置くものなり。 と記して傍に、寛政六年|甲寅十二月 日とある石の記念碑である。 「ほう、水死人の、そうか、謂わば土左衛門塚。」 「おっと船中にて....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
撃滅とともに、舞台の背後に追いやられた。バアリイ一人が残った――ただし古い過去の記念碑としてである。レスターとウォルシンガムの位置には、エセックスとラレイとが替....
西航日録」より 著者:井上円了
落の遠近に碁布せるを見る。実に大軍を動かすに最も適せる地たるを覚ゆ。岡頭に獅子の記念碑あり。 夢跡に留めし獅子のかげ寒し この句は陸軍将校某の「獅子一ツウオタ....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
は、はるかにスイスをしのぐの勢いあり。絶頂に茶店一戸あり。また、ドイツ皇帝登臨の記念碑あり。帰路、野花を折りて船に移る。午後六時、新月を望みたるも光気薄し。これ....
黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
時は経った。とうとう辛抱し切れなくなってあてもなく歩き出した。不意に西の頂上の記念碑の前に人影が顕われる、双眼鏡で覗くと空身の金作と源次郎である、暢気らしくお....