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記紀
「記紀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
記紀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神話と地球物理学」より 著者:寺田寅彦
という顛末を叙した記事は、ともかくも、相当な長い時間の経過を暗示するからである。
記紀にはないが、天手力男命が、引き明けた岩戸を取って投げたのが、虚空はるかにけし....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
朝廷に敵意を示し、朝廷を手こずらせもし、その憎悪もかりたてたようです。その秘密は
記紀の記述からタンテイ作業によって見破ることができます。以上は文春本誌九月号の新....
「戦争論」より 著者:坂口安吾
た利益は、非情なる歴史的観察に於ては、被害以上となる筈である。 徳川以来、否、
記紀時代以来からわだかまる独尊性や鎖国性に、ともかく、はじめて、正しい窓をあける....
「水鳥亭」より 著者:坂口安吾
至って、新世界の黎明が現れます。日本は太虚であり、太陽であり、新世界の盟主です。
記紀に予言されたところであり、歴史的必然です」 「そうあって欲しいものですよ。と....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
したという崇神垂仁両朝の記事の如きも、伝説であって、歴史ではない。 神話とか、
記紀以前の人皇史は、民間伝承というものでもない。日本にはそれまでに何回もの侵略や....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
とき末ッ子が辞退して次兄に皇位をゆずった。この次兄が仁徳天皇だそうだ。こんな話が
記紀にあるから、親も好みのアトツギを選ぶには子供に気兼ねがあったのだろう。選定相....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
て殺そうとされるに至ったというのである。ミノは当時はヒダも含めてミノであるから、
記紀いずれの説にせよ兄大碓はヒダの地と深いツナガリがあるのです。しかし大碓命のヒ....
「自分と詩との関係」より 著者:高村光太郎
相剋をも包む。生きている人間の胸中から真に迸り出る言葉が詩になり得ない事はない。
記紀の歌謡の成り立ちがそれを示す。しかし言葉に感覚を持ち得ないものはそれを表現出....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
るものは、極めて寥々の数であると謂ってよい。しかしながら我らは、多数の国民は我が
記紀の古伝説の教うるところにしたがって、我が皇室の御先祖とともに、高天原なる祖国....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
、石器時代の遺蹟に鹿角が多く包含せられて、猪牙の極めて少い事からでも想像せられ、
記紀の記するところ、日本武尊の焼津の野火の難における、市辺押磐皇子の来田綿の蚊屋....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
は稚郎子皇子の事であろう。皇子薨じて宇治山上に葬るとは日本紀にあるが、散骨の事は
記紀その他の古書にかつて見当らぬ。しかしながら藤原吉野の当時には、皇子は散骨の式....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
。享楽的で無智だ。」なぞと、すぐに日本を打ち消してしまいたがる人があるが、それは
記紀から万葉、催馬楽、田楽、諸国の地謡というものを真には研究して見ないからだ。す....
「学究生活五十年」より 著者:津田左右吉
てシナと朝鮮との史籍を用いねばならぬことを、前々よりも痛切に感じたのである。後に
記紀のことを考えるようになったのは、これらのことに誘われたところが多い。それから....
「建国の事情と万世一系の思想」より 著者:津田左右吉
ない、というのがそれである。これは史料と歴史との区別をしないからのことであって、
記紀は上代史の史料ではあるが上代史ではないから、それに事実でないことが記されてい....
「日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
及ぶまいが、その主なるものは上代史に関することであって、その根本の考は、いわゆる
記紀の神代や上代の部分を歴史的事実を記したものとして信奉するところにある。もっと....