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詩文
「詩文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
詩文の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
方《かいもくおゆくえ》が知れないと申すことでございます。この方などは若殿様とも、
詩文の御交りの深かった御一人で、御消息などをなさる時は、若殿様を楽天《らくてん》....
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
兼輔《さしょうべんかねすけ》であった。色の白い、髯《ひげ》の薄い優雅の男振りで、
詩文もつたなくない、歌も巧みであった。そのほかに絵もすこしばかり描いた。笛もよく....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
では、いちばん身分が高かった。 天野新一郎は、少年時代から学問好きで、頼山陽の
詩文を愛読しているために、その勤王思想の影響を受け、天朝の尊むべく幕府の倒すべき....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
第三の男は語る。 「唐代は
詩文ともに最も隆昌をきわめ、支那においては空前絶後ともいうべき時代でありますから....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
、ちょうど降矢木の三事件と同じ形で絶滅されてしまったのだ。その最初のものは、宮廷
詩文正朗読師の主キューダビイが、出仕しようとした朝だった。当時不貞の噂が高かった....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
河に退隠せしめて、甲斐一国の領主となる。時に年二十一歳。 若い時は、文学青年で
詩文ばかり作っていたので、板垣信形に諫められた位である。だから、武将中最も教養あ....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
のと大いに趣きを異にしてきわめて文雅の人物であった。容貌も秀麗、風姿も典雅、和歌
詩文にも長けていて、今日信玄の作として世に知られている和歌の多くはまことは主水の....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
いい、その庭園を随園と名づけましたので、世の人は随園先生と呼んで居りました。彼は
詩文の大家で、種々の著作もあり、詩人としては乾隆四家の一人に数えられて居ります。....
「小春」より 著者:国木田独歩
ただ自然その物の表象変化を観てその真髄の美感を詠じたのであるから、もしこの詩人の
詩文を引いて対照すれば、わが日本国中数えきれぬほどの同風光を見いだすだろう。 ....
「離魂病」より 著者:岡本綺堂
りの旗本の屋敷があった。その隠居は漢学者で、西岡や叔父はかれについて漢籍を学び、
詩文の添削などをしてもらっていた。隠居は采石と号して、そのころ六十以上の老人であ....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
り蔵前の札差しなどと、吉原へ行って花魁を買ったり、蜀山人や宿屋飯盛などと、戯作や
詩文の話をしたりして、暮らす日の方が多いのだ。ところで丸田屋は俳人なので、かなり....
「演劇の様式――総論」より 著者:岸田国士
張を裏書きするもので、つまり「演劇」の構成要素を、あらゆる姉妹芸術、音楽、美術、
詩文、舞踊、俳優術の綜合、統一なりとして、ことさら「演劇」の独立性を無視しようと....
「書籍の風俗」より 著者:恩地孝四郎
ある。この種のものは日本では、大形の写真貼などの外は刊行本には殆どない。近刊拙著
詩文集はその方式でやることになっている。本装になると背が一つの重要な働きをもって....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
、壮観が私をして転た深趣の感に堪えざらしめましたゆえ、そのつど感想上に浮んだ事を
詩文に作って居りました」といって、懐中からその書物とそれから私が必要と思う梵語文....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
竦まっている年頃である慧鶴は春、清水へ行き、そこの禅叢の衆寮へ入れて貰って、主に
詩文の稽古をした。蔬菜の切口のように、絶え間なくしとしととうるみ出る若者の情緒を....