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「誅伐〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

誅伐の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
治へ差し向けようと思う」 「宇治へ……」と、玉藻は眉をよせた。 「おお、頼長めを誅伐するのじゃ。氏《うじ》の長者を許され、関白の職におる忠通に敵対するやからは謀....
小田原陣」より 著者:菊池寛
蒙らざらんや。古諺に曰く、巧詐は拙誠に如かずと。所詮普天の下勅命に逆ふ輩は、早く誅伐を加へざるべからず云々」 実に秀吉一流の大見得である。勅命を奉じて天下を席....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
によれば、相馬将門《そうままさかど》威を東国に振い、藤原|秀郷《ひでさと》朝敵|誅伐《ちゅうばつ》の計策をめぐらし、この神の加護によって将門を亡《ほろぼ》したの....
梟雄」より 著者:坂口安吾
妙椿の家族はお家騒動を起しはじめた。すると新九郎は死せる妙椿の名に於て彼らを誅伐し、その所領をそっくり受けついでしまったのである。ついでに、斎藤の家と、その....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
を怖れしめるお働きもなさったのであります。 それは蘇我馬子とともに、物部守屋を誅伐された時でありました。御齢は十四歳でいられました。束髪にして打もの執って従軍....
三国志」より 著者:吉川英治
の一族をつれ、劉虞の所へ行った。劉虞はちょうど、中央の命令で、漁陽に起った乱賊を誅伐にゆく出陣の折であったから、大いによろこんで、 (よし。君らの一身はひきうけ....
三国志」より 著者:吉川英治
の仇を、君と協力して討ちに行こう」と、ささやいた。 勿論、曹操の胸にも、いつか誅伐の時をと誓っているのは、呂布という怪雄の存在であった。 「…………」 玄徳....
三国志」より 著者:吉川英治
操はそれに命令を下した。 そして自身はなお幽州へ進攻して、袁煕、袁尚のふたりを誅伐すべく準備に怠りなかったが、その間にまず袁譚の首を、城の北門に梟けて、 「こ....
三国志」より 著者:吉川英治
にはどんなことがあったかというに、蜀軍の総引揚げに際し、桟道の嶮で野心家の魏延を誅伐した楊儀も、官を剥がれて、官嘉に流され、そこで自殺してしまった。 延は儀を....
私本太平記」より 著者:吉川英治
る。ひと束にして僉議の席へもちだされた。 帝も御覧あるに。 新田|右衛門佐義貞誅伐セズンバ有ル可カラズ 一族相催シ 急ギ馳セ参ジラレヨ と、すべて同文で、ま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ってのうえの戦略だった。つまり尊氏を東国に、義詮を京都に、それぞれ分断して同時に誅伐する両刃のはかりごとを考えていたのであった。 いわば尊氏と親房とは、どっち....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ぬことでありまして、またそれには十分理由のあることであります。景行天皇が熊襲を御誅伐になる時に、明らかにその理由をお述べになっておられます。「今少しく兵を起した....