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「誠忠〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

誠忠の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
旅愁」より 著者:横光利一
見ると、 「いいなア、僕も芽の出るころに帰って来たのか。いや、僕は忠義を竭すよ。誠忠――これ以外に僕らにはあり得ない。これは実に豊かなものだよ。ただ人はこれを間....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
は従者に持たせ、徒歩にて御輿にひたと供奉する三十六、七の男、鼻高く眉秀で、目には誠忠の光を湛え口元には知勇の色を蔵す、威風堂々としてあたりをはらって見える。 ....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
場から「議会における決議の趣旨は機関説排撃にありたること勿論にして、首相は第一に誠忠をもって機関説排撃の決意を示すに拘らず、本回の地方長官会議の各省大臣の訓示は....
甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
、今度、松本先生のお骨折りで、隊土を募ったところ、二百人も集まって来た。いずれも誠忠な、剣道の達人ばかりだ。……それに、勝安房守様より下渡された五千両の軍用金で....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
廷を攻め、後鳥羽、土御門、順徳三上皇を僻陲の島々に遠流し奉ったのであった。そして誠忠奉公の公卿たちは鎌倉で審議するという名目の下に東海道の途次で殺されてしまった....
ヤトラカン・サミ博士の椅子」より 著者:牧逸馬
あうるや学派に属し、印度《インド》正教を信奉する多美児《タミル》族、エルカラ閥の誠忠な一人だった。で、博士は、ズボンと上衣に分離している英吉利《イギリス》旦那の....
血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
おいで以来、気鬱のように陰気になられた。その常陸介殿はどうかというに、智謀逞邁、誠忠無双、容易に物に動じないお方だ。そのお方が陰気になられたのだ。幸蔵主殿の聚楽....
南国太平記」より 著者:直木三十五
は、睨みが利かなくなる。よいかな、このわしのことを、考えてくれ。又、父仲太郎殿の誠忠無比、一命を賭しての呪術を思い、又、己の行末のことを、思うたなら、ここは、一....
環礁」より 著者:中島敦
店。何処からか聞えて来る蓄音機の浪花節《なにわぶし》。わびしげな活動小屋に「黒田誠忠録」がかかっている。切符売の女の窶《やつ》れた顔。小舎の前にしゃがんでトーキ....
学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
くすに一死をもってするは、古今の忠臣義士に対して毫《ごう》も恥ずることなし。その誠忠は日月とともに燿《かがや》き、その功名は天地とともに永かるべきはずなるに、世....
ながうた勧進帳」より 著者:酒井嘉七
をおっ取って、散々に打擲する。関守の富樫は、義経主従と看破してはいるものの弁慶の誠忠に密かに涙し、疑い晴れた、いざお通りめされと一同を通してやる。 義経主従は....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
は西人もしくは筑紫人とも称すべきものなりき。しかして久米部・佐伯部左右に相対し、誠忠と武勇とをもって称せられたりしなり。しかるに奈良朝のころに至りては、この筑紫....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
伎座の三月興行において団十郎自身がその口上をのべた。そのときの狂言は一番目「清正誠忠録」、二番目「花盛劇楓葉」で、中幕には改名披露として「曾我の対面」を出し、梅....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
のその返事を偽作した――綴りかたの優秀なるものである。いかにも伯爵の女王に対する誠忠がにぎにぎしく見せびらかされてある。そういう贋手紙を彼は女王の所に持っていっ....
新撰組」より 著者:服部之総
崎の商人|白石廉作《しらいしれんさく》である。薩藩は文久元年十月来公武合体派たる誠忠組の天下となって、応じて極左尊攘派も進出して、その領袖は藩校の国学教師|有馬....