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「諏訪神社〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

諏訪神社の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
職のうち、合祀の不法を諤議《がくぎ》せるは、全国にただ一人あるのみ。伊勢四日市の諏訪神社の社司|生川《なるかわ》鉄忠氏これなり。この人、四十一年二月以降の『神社....
自叙伝」より 著者:大杉栄
大富豪になり、ことには男爵になるに及んで、その郷里にこの製糸場と、そのすぐそばの諏訪神社の境内に自分の銅像を立てたのであった。 けれども、ここにもやはり、道徳....
放生津物語」より 著者:田中貢太郎
りがとうございます」 二人はその時畑路の岐路の処へ来ていた。その路を右に往くと諏訪神社のある草原で非常に近かった。二人は路の遠近のことは思わなかったが、そうし....
小さな山羊の記録」より 著者:坂口安吾
、という長大息であったらしい。彼の女房自慢も当にならないのである。翌朝、私たちは諏訪神社へ自動車を走らせた。神社を見終って、彼はいかにもなつかしげに、はア、こん....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
話をしないと分らない。 多久家は八ヶ岳山嶺に神代からつづくという旧家であった。諏訪神社の神様の子孫という大祝家よりももっと古く、また諏訪神社とは別系統の神人の....
血曼陀羅紙帳武士」より 著者:国枝史郎
は、火祭りで賑わっていた。家々では篝火を焚き、夜になると、その火で松明を燃やし、諏訪神社の境内を巡った。それで火祭りというのであるが、諏訪神社は、宿から十数町離....
南国太平記」より 著者:直木三十五
通の父) 広敷書役 八田喜左衛門(後の八田知紀) 郡奉行 大山角右衛門諏訪神社宮司 井上出雲守 達で、無役、軽輩の人々は、別に玄関脇の部屋に集まって....
落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
つばかり、心にかかる雲もない近郷近在の農民がドッと祭礼へおし出してくる。 この諏訪神社の祭礼には、ミコの舞いもあるが、近郷八ヶ町村の中から、年々良家の美童一人....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
なかった。私は長崎の人に手製の地図を書いてもらって、それをタヨリに歩いていたが、諏訪神社のベンチに腰を下して長崎港を眼下に眺めつつその手製の地図を見ているときに....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
に最も重臣たるのが左大臣蘇我赤兄ですが、これと同じ名が妙なところに現れています。諏訪神社の神氏系譜というものに、神様から代々の系図があって、武ミナカタの命の子孫....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
て行ったもの、これは一つの酒興で罪のないわるさであった。 諏訪町では向って左が諏訪神社、師匠東雲の店は社の筋向うの右側にあったのです。町の中ほどには紅勘(小間....
平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
ところで、それから四日おいた同じく正月の八日。こんどは、日暮里《にっぽり》の諏訪神社《すわじんじゃ》の境内で、同じような事件が起きた。 富士見坂《ふじみざ....
芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
と、福岡の箱崎及び住吉両神社にあり、筑後の秋月にもあり、柳河にもあり、また長崎の諏訪神社でも見られる。 これらはすべて現存のものであるが、近年まで存在したとい....
奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
さらにそれに角を附加するという事は考えられぬでもない。武蔵南多摩郡元八王子村なる諏訪神社の獅子頭は、古来龍頭と呼ばれて二本の長い角が斜めに生えているので有名であ....
春泥」より 著者:久保田万太郎
留った。「此奴ァいけねえ。」 「何だ?」 ともに小倉も立留った。 「こゝはもう諏訪神社だ。」 「そうよ。」 「こんなとこへ来ちゃァ。――日暮里の停車場はずっと....