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「諸士〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

諸士の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
乱世」より 著者:菊池寛
いう知らせが早くも伝わった。 その知らせに接して、評定の人々は更に焦った。が、諸士の議論は、容易に一致しなかった。藩中第一の器量人といわれている家老の酒井孫八....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
ことは難かるべし。然らば今宵限りの参会なり、又此世の名残りなりと酒宴してけるを、諸士は偏へに老武者が壮士を励ます為の繰言とのみ思ひて、何も遠藤殿の仰せらるる迄も....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
は五月十九日の朝、丸根を陥した後大高に居ったが、晩景になって義元の敗報が達した。諸士退軍をすすめたが、元康|若し義元生きて居たら合わす顔がないとて聞かない。処に....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
たが、総軍今は乱軍のまま思い思いに退却である。盛政例によって大音声を挙げ、味方の諸士臆病神が付いたのか、と罵ると、原彦次郎曰く「仰せの如く味方の兵が逃げるのは、....
島原の乱」より 著者:菊池寛
も騒動したが、三宅藤右衛門、白柄の薙刀を揮って三人を斬り、創を被るも戦うのを見て諸士亦奪戦して斥けた。藤右衛門は、本戸の役に自刃した藤兵衛の子であるから仇討ちを....
小田原陣」より 著者:菊池寛
重二十重に囲まれ、その上連日の霖雨であるから、いくら遊び事をして居たって、城内の諸士が相当に腐ったのは想像出来る。 気持ちが滅入って来ると、疑心暗鬼を生じて来....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
方へ向かった。その時の御先立には、山村|甚兵衛、馬場半左衛門、千村平右衛門などの諸士を数える。馬籠の青山|庄三郎、またの名|重長(青山二代目)もまた、徳川|方に....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
になり、夜中|江州の八幡にたどり着いて西川善六を訪い、足利木像事件後における残存諸士の消息を語り、それより回り路をして幕府|探偵の目を避けながら、放浪約五十日の....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
場合になった。が、実際は額に汗をかくどころでは無い、鶏肌立つくらい寒かったので、諸士軍卒も聊《いささ》か怯《ひる》んだろう。そこを流石《さすが》は忠三郎氏郷だ、....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
針がとびだして目玉を突いているのである。鎌倉四十七士ごとき、とうてい敵ではない。諸士が血迷うのは、敵を知らざるものであり、又、大義に添うものでもない。 諸士が....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
の郷士の領とすべし。五十石を不足と思い、他所へ立ち去る人は心次第たるべし。ただ、諸士の流浪を不憫に思し召して如此なし給わば、莫大のご仁政なるべし」 こう徂徠は....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
ズラリと並びそこだけには御簾がかけられている。その左は局の席、その右は西丸詰めの諸士達の席である。本丸からも見物があり、家族の陪観が許されたのでどこもかしこも人....
間人考」より 著者:喜田貞吉
着座することから間脇と呼ばれるに至ったのではあるまいか。幕府殿中においても諸大名諸士の出席を間を以て分ち、その階級を示した事であった。「脇」はすなわち相撲の関脇....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
幾多の蹉跌に屈せず、奮進する所以なるか。 余のこの地に進入せしは勇敢なる冒険家諸士に倣うて、探検の功を全うし、広く世界の文明に資せんとの大志願ありしに非ず。仏....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
を拝見した。最上家の時代には、二の丸内はもとより、その以外いわゆる三千石の地にも諸士の邸宅が割り宛てられていた盛んな状が知られる。それが些細なことから幕府の忌諱....