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「諸将〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

諸将の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
、望ましい語《ことば》でしょう。ところが遺憾ながら、西南戦争当時、官軍を指揮した諸将軍は、これほど周密《しゅうみつ》な思慮を欠いていた。そこで歴史までも『かも知....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
奥義を授かった人にのみ限られていた。 茶道の盛んであった時代においては、太閤の諸将は戦勝の褒美として、広大な領地を賜わるよりも、珍しい美術品を贈られることを、....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
名づけていた。 その当時、戎呉という胡の勢力が盛んで、しばしば国境を犯すので、諸将をつかわして征討を試みても、容易に打ち勝つことが出来ない。そこで、天下に触れ....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
て来援した。 (家康に取っても、大事な軍であった。信長より加勢を乞われて、家康の諸将相談したが、本多平八郎忠勝、家康に向って曰く、「信長公を安心の出来る味方と思....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
あるから、配備は滅茶苦茶で、兵は多く土地は狭く、駈引自由ならざるところに、元就の諸将、揉みに揉んで攻めつけたから、陶軍早くも浮足たった。 かねて打合せてあった....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
決心をなした。 予て、かくあるべしと待ちかねていた信玄は、その報をきくと南信の諸将に軍勢を催促しつつ、十八日に甲府を立ち、二十二日には上田に到着している。その....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
本が確立したのである。 自分は、昭和五年に鹿児島へ行ったが、西郷隆盛以下薩軍の諸将の墓地が、壮大であるのに引きかえ、西南戦争当時の官軍の戦死者を埋葬した官軍墓....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
であった。そして信長の遺した事業に対し、偉大なる発言権を握ったわけだ。勝家以下の諸将が、変に応じて上洛を期したけれども、秀吉の神速なる行動には及ぶべくもなかった....
島原の乱」より 著者:菊池寛
倉重次の二千五百、立花忠茂の五千、細川光利の一万三千、有馬忠郷の八千を始めとして諸将各々兵を出し、城中の兵数に数倍する大軍である。上使重昌は、鍋島勢を大江口|浜....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
岡山天王寺口の戦 五月七日、幸村は最後の戦場を天王寺附近と定め、城中諸将全部出でて東軍を誘致して決戦し、一隊をして正面の戦|酣なる時迂回して背後を衝....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
文明四年にはそろそろ平和論が称えられて来た。 対峙すること既に六ヶ年、在京の諸将が戦いに倦んだことは想像出来るのである。加るに彼等の関心は、単に京都だけの戦....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
皇は王政復古の偉業成って、めでたく京都に還幸された。楠正成、名和|長年以下の凱旋諸将を従えられ、『増鏡』に依ると、其の行列は二条富小路の内裏から、東寺の門まで絡....
小田原陣」より 著者:菊池寛
濃、尾張にみちみちたる」とあるくらいだから、正に天下の大軍である。その上、水軍の諸将、即ち長曾我部元親、加藤|嘉明、九鬼嘉隆等も各々その精鋭をすぐって、遠州今切....
秋の筑波山」より 著者:大町桂月
楽に加勢することを諾す。然るに愈々小田城に押しよせて見れば、一向内応の模様なし。諸将こは如何にと怪しめば、実は内応ありたるに非ず。手紙も、にせ手紙也。唯々連歌の....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
この決心処置は迅速果敢しかも適切敏捷に行なわれナポレオンを嫉視ないし軽視していた諸将を心より敬服せしめるに至った。ある人は「ナポレオンはこの命令で単に墺軍に対し....