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「諸芸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

諸芸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
一夕話」より 著者:芥川竜之介
若槻よりも、下品でも猛烈な浪花節語りに、打ち込むのが自然だと考えるんだ。小えんは諸芸を仕込ませるのも、若槻に愛のない証拠だといった。僕はこの言葉の中にも、ヒステ....
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
や、それもただ、そう云うものが御好きだったと申すばかりでなく、御自分も永年御心を諸芸の奥秘《おうひ》に御潜めになったので、笙《しょう》こそ御吹きになりませんでし....
食魔」より 著者:岡本かの子
功徳を説き、コンポジションとかニュアンスとかいう洋名の術語を口にした。 東洋の諸芸術にも実践上の必需から来る自らなるそれ等にあって、ただ名前と伝統が違っている....
怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
り致しました。 五 話|替って、飯島平左衞門は凛々しい智者にて諸芸に達し、とりわけ剣術は真影流の極意を極めました名人にて、お齢四十ぐらい、人並....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
せておいて、民家に宿舎することを同盟謝絶して其一軍に便宜を供給しない。詰り遊歴者諸芸人を勤倹同盟の村で待遇するように待遇する。すると其軍の大将が武力を用いれば何....
半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
園居士などと呼ばれる、三島沼津を掛けた高持の隠居で。……何不足のない身の上とて、諸芸に携わり、風雅を楽む、就中、好んで心学一派のごとき通俗なる仏教を講じて、遍く....
雪たたき」より 著者:幸田露伴
りたがる地頭を、飴ばかりせびる泣く児のように思っている人民の地、文化は勝れ、学問諸芸|遊伎等までも秀でている地の、其の堺の大小路を南へ、南の荘の立派な屋並の中の....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
先生。先生とおよび致すは島田三次郎どのです」 「あの化け者が何芸を教えおる」 「諸芸に神技を会得しておられます。弓をとれは飛ぶ矢を射落し、杖を握れば一時に百杖の....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
持て囃され、引っ張り凧の有様であった。 勝海舟は風流人で、茶屋の女将や相撲取や諸芸人を贔屓にした。 そこで、延太夫の小堀義哉も、よく屋敷へ招かれた。 28 ....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
子が境遇にめげず、自分を失わずに切りぬけて来たからだ。 正直で、感情が豊かで、諸芸がよく出来て、宗教心が深いこと、しかし実務上の処世術にうとく、余程がっちりと....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
かったものである。 したがって随分わがままもした。市井の無頼漢を贔屓にしたり、諸芸人を近づけたりした。いわゆる一種の時代の子で、形を変えた大久保彦左衛門、まず....
露の答」より 著者:坂口安吾
身となった。そのとき五郎兵衛は五十三、娘はとって十九です。娘は琴、長唄、踊りなど諸芸に通じ、国文学の素養が深くて伊勢物語の現代語訳を遺した程の才媛ですが、又、自....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
されたというは明治の音楽史研究者の余り知らない頗る変梃な秘史である。) 椿岳は諸芸に通じ、蹴鞠の免状までも取った多芸者であった。お玉ヶ池に住んでいた頃、或人が....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
倒せらるるの観あり。 ○十二月三日より七日間、市村座創業二百五十年の祝賀として、諸芸有名会を開く。 ○二月、日露戦争開く。 ○三月十六日、清元延寿翁死す、七十三....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
文・市子・梓巫の輩、あるいは田楽(猿楽)・万歳・春駒・夷舁、大黒舞・傀儡師などの諸芸人、あるいは山陰道筋に多い鉢屋(大和などにも警吏の一種にこの名があった)、山....