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講
「講〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
講の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
には薄暗い記憶ばかり残している。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の
講義を除きさえすれば、どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった。が....
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
まるで腹には、何にもありやせん。あればまず寺子屋の師匠でも言いそうな、四書五経の
講釈だけでげしょう。だからまた当世のことは、とんと御存じなしさ。それが証拠にゃ、....
「疑惑」より 著者:芥川竜之介
今ではもう十年あまり以前になるが、ある年の春|私《わたくし》は実践倫理学《じっせんりんりがく》の
講義を依頼されて、その間《あいだ》かれこれ一週間ばかり、岐阜県《ぎふけん》下の大....
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
には、礼盤《らいばん》を中に挟《はさ》みながら、見るも眩《まばゆ》い宝蓋の下に、
講師|読師《とくし》の高座がございましたが、供養《くよう》の式に連っている何十人....
「河童」より 著者:芥川竜之介
りするのです。なんでもチャックの話では出産後二十六日目に神の有無《うむ》について
講演をした子どももあったとかいうことです。もっともその子どもは二月目《ふたつきめ....
「彼」より 著者:芥川竜之介
「どんな人って……やっぱり本を読むのが好きなんですよ。」
「どんな本を?」
「
講談本《こうだんぼん》や何かですけれども。」
実際その家の窓の下には古机が一つ....
「片恋」より 著者:芥川竜之介
ところが、お徳こと福竜のやつが、承知しない。――福竜がよかったろう。八犬伝の竜の
講釈の中に、「優楽自在なるを福竜と名づけたり」と云う所がある。それがこの福竜は、....
「煙管」より 著者:芥川竜之介
うに、それを未然に惧《おそ》れた。
そこで、彼等は、早速評議を開いて、善後策を
講じる事になった。善後策と云っても、勿論一つしかない。――それは、煙管の地金《じ....
「子供の病気」より 著者:芥川竜之介
そう》だのと云うのは全然|架空《かくう》の人物らしかった。そう云えば確《たし》か
講釈師に南窓《なんそう》と云うのがあったなどと思った。しかし子供の病気のことは余....
「温泉だより」より 著者:芥川竜之介
肝腎《かんじん》の「風景」はまだ一枚も仕上《しあ》げません。まず湯にはいったり、
講談本を読んだり、狭い町を散歩したり、――そんなことを繰り返して暮らしているので....
「西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
《せわ》しい思をしている中に、いつか休暇も残少《のこりすく》なになった。新学期の
講義の始まるのにも、もうあまり時間はない。そう思うと、いくら都踊りや保津川下《ほ....
「将軍」より 著者:芥川竜之介
をやらせるそうだぜ。」
「寄席的? 落語《らくご》でもやらせるのかね?」
「何、
講談だそうだ。水戸黄門《みとこうもん》諸国めぐり――」
穂積中佐は苦笑《くしょ....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
或天気の好い午前である。博士に化けた Mephistopheles は或大学の
講壇に批評学の
講義をしていた。尤もこの批評学は Kant の Kritik や何....
「良夜」より 著者:饗庭篁村
町幅も狭きようにて、この所ばかりか近郷の褒め草。ある時、県令学校を巡廻あり。予が
講義を聴かれて「天晴慧しき子かな、これまで巡廻せし学校生徒のうちに比べる者なし」....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
貼ってある広告のビラに目をとめた。それは、ドルセット町五十三番のタタム氏が科学の
講義をする、夕の八時からで、入場料は一シリング(五十銭)というのであった。 こ....