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「講堂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

講堂の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:芥川竜之介
、かつて、内供の鼻を粥《かゆ》の中へ落した事のある中童子《ちゅうどうじ》なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑《おか》しさをこらえてい....
水の三日」より 著者:芥川竜之介
講堂で、罹災民《りさいみん》慰問会の開かれる日の午後。一年の丙組(当日はここを、....
路上」より 著者:芥川竜之介
いるような心もちがした。が、そう思う暇《ひま》もなく、女はまた眼を挙げて、向うの講堂の屋根に降る雨の脚を眺め出した。俊助は外套の肩を聳やかせて、まるで女の存在を....
婦系図」より 著者:泉鏡花
学位も有るもんなら、」 と自若として、自分で云って、意気|頗る昂然たりで、 「講堂で良妻賢母を拵えて、ちゃんと父兄に渡す方が、双方の利益だもの。教頭だって、そ....
怪星ガン」より 著者:海野十三
が、なかなかの偉観であった。しかもこの吊り橋を、天井の偉大さにくらべると、まるで講堂の天井に、小さい蜘蛛の巣がかかっているほどにしか見えなかった。 「三根夫さん....
「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
せた。ちょうど日露戦争の頃でもあるから、自然戦争に関する画面が多かった。わたしは講堂の中で、同窓の学生が拍手喝采するのに引ずられて、いつも喜んで見ていた。ところ....
端午節」より 著者:井上紅梅
中に生長して来た。 彼がこの「大差無し」説を最初公表したのは、北京の首善学校の講堂であった。何でも歴史上の事柄に関して説いていたのであったが、「古今の人相遠か....
頭髪の故事」より 著者:井上紅梅
ヤガヤした。わたしはそれでも知らん振りして、彼等のイガ栗頭と辮子頭と一緒に交って講堂に登るに任せた。 さはさりながらこの髪斬病《かみきりびょう》は伝染した。三....
雪霊続記」より 著者:泉鏡花
した。 うろつく者には、傍目も触らず、粛然として廊下を長く打って、通って、広い講堂が、青白く映って開く、そこへ堂々と入ったのです。 「休め――」 ……と声す....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
り、講義の際の手伝いをしたり、器械の入用の節は、器械室なり実験室なりから、これを講堂に持ちはこび、用が済めば奇麗にして元の所に戻して置くこと。修理を要するような....
税所敦子孝養図」より 著者:上村松園
松篁が行っている初音小学校の校長先生が、わたくしの家を訪ねて来られて、 「学校の講堂に飾って置きたいのですが、ひとつ児童たちの教訓になるような絵を是非描いて寄贈....
西航日録」より 著者:井上円了
た。) 船中にありて過般の哲学館事件を想起し、感慨のあまり、左の七絶をつづる。講堂一夜為風頽、再築功成復化灰、遺恨禍源猶未尽、天災漸去又人災。 (講堂は一夜に....
浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
のでありますが、各位の賛同を心よりお願いいたす次第であります。 二、政治協商会議講堂における講演 一九五九(昭和三十四)年三月十二日 社会党第二次訪中....
まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
部のお声がかりで学校当局並びに学生の一部が参加して軍事研究団なるものをつくって、講堂で発会式を挙げた。そのころ早大内部の学生運動は、文化同盟という形で集結されて....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
がいつも主であるから、家庭のことは二の次にされる。 二十五年の一月、早稲田大学講堂で党大会が開かれたが、その会場に父の死が知らされた。このときは私が書記長に再....