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「講壇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

講壇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
路上」より 著者:芥川竜之介
二十一 その日|俊助《しゅんすけ》は、いつよりもやや出席が遅れたので、講壇をめぐった聴講席の中でも、一番|後《うしろ》の机に坐らなければならなかった。....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
或天気の好い午前である。博士に化けた Mephistopheles は或大学の講壇に批評学の講義をしていた。尤もこの批評学は Kant の Kritik や何....
チャンス」より 著者:太宰治
と言ってもよさそうなのに、恋愛、という新語を発明し、恋愛至上主義なんてのを大学の講壇で叫んで、時の文化的なる若い男女の共鳴を得たりしたようであったが、恋愛至上と....
錯覚自我説」より 著者:辻潤
数回反復熟読せしめた。かれは一面すばらしき詩人でもある。決して単なる形式論理的、講壇的、乾燥無味的哲学者ではない。 新著『循環論証の新世界観と錯覚自我説』とは....
クララの出家」より 著者:有島武郎
事である。クララはやはりこの堂母のこの座席に坐っていた。着物を重ねても寒い秋寒に講壇には真裸なレオというフランシスの伴侶が立っていた。男も女もこの奇異な裸形に奇....
ウィリアム・ウィルスン」より 著者:佐々木直次郎
たが、それでもやはり非常に畏怖の念を起させるものだった。一つは「古典」の助教師の講壇で、もう一つは「英語および数学」の助教師のであった。室内のあちこちに、際限の....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
んだろう」 人々はたがいにあやしみながら講堂へ集まった、講堂にはすでに各先生が講壇の左右にひかえていた、どれもどれも悲痛な顔をしてこぶしをにぎりしめていた。も....
金銭無情」より 著者:坂口安吾
の何とかといふ論文を私も雑誌に見かけたことがあるが、その後は著作はやらなくなり、講壇に立つたことは一度もないので、哲学専門の学生でも彼の名は知らない。 先日私....
街はふるさと」より 著者:坂口安吾
人だけしか分りゃしない」 「私はそれほど悟れないけど」 「それは、そうさ。ぼくは講壇派、ニセ達人だが、あなたは生活派の達人だ」 「私は常識的に考えているだけ。記....
雪霊続記」より 著者:泉鏡花
、笑うか、一つ大声が響いたと思うと、あの長靴なのが、つかつかと進んで、半月|形の講壇に上って、ツと身を一方に開くと、一人、真すぐに進んで、正面の黒板へ白墨を手に....
佳日」より 著者:太宰治
の若い教授と意見の衝突があって、忍ぶべからざる侮辱を受けたとかの理由を以て大学の講壇から去り、いまは牛込の御自宅で、それこそ晴耕雨読とでもいうべき悠々自適の生活....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
段として、特に家族手当の規定を設けるのに力を入れたということを、学生時代早稲田の講壇で故松崎蔵之助博士から聞き、私もそのビスマルク式に共鳴してぜひ自分も人を使う....
フランケンシュタイン」より 著者:シェリーメアリー・ウォルストンクラフト
、クレンペ氏が講義に関して教えてくれたことを考えてみた。あのうぬぼれの強い小男が講壇から文句を述べたてるのを行って聴く気にはなれなかったが、それまで町を離れてい....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
の英、米哲学を本位にしておったのとは非常に形勢が変ってきた、殊に大学およびその他講壇の側において然《しか》るのである。それで、明治二十三年は諸種の方面からみて、....
ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
を維持していられるのだ。 先生一人の周囲に、苟も学に志ある 聴衆は麕集して来る。講壇の上から 光明を放っているのは、先生一人だ。 先生が聖ペトルスのように鍵を預....