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「講習所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

講習所の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
自叙伝」より 著者:大杉栄
年には、みんな無事に中学校を終えて、僕と島田とは外国語学校に、登坂と田中とは水産講習所に、谷は商船学校に、みなかなりの好成績ではいった。 谷は今郵船の船長をし....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
県主催のもとに開かれているおりからであった。松本宮村町|瑞昌寺、それが師範学科の講習所にあてられたところで、いずれも相応な年配の人たちが県庁の募集に応じて集まっ....
」より 著者:寺田寅彦
盥を浮かべて船の代わりにしたものであるが、いろいろの観測に必要だというので、水産講習所へ頼んで造ってもらったものである。池につないでおくと、たぶん職人か土方だろ....
太平洋魔城」より 著者:海野十三
かし太刀川には、なぜそんなことが起るのか、よくわからなかった。そもそも彼は、水産講習所を卒業後、学校に残って研究をつづけていた若き海洋学者であって、海の学問につ....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
相手を取り違えたのでは決してないので、実は国民精神文化研究所の出店(国民精神文化講習所)を作ろうというのである。現在文部省直属のこの思想警察を備えた府県は沢山出....
無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
の艱難辛苦をなめて、漁業には、りっぱな体験をもった人々。 二名の練習生は、水産講習所出身で、これから、海上の実習と研究とをつんで、将来は、水産日本に大きな働き....
吊籠と月光と」より 著者:牧野信一
なく互いの和議を持って諒解《りょうかい》した。――二人が学校を出て(七郎丸は水産講習所)間もない頃の、印象の鮮やかな僕の記憶である。何でも、その晩は、二人とも怖....
飛沙魚」より 著者:佐藤垢石
早く眼をさますが、彼らは一体夜の何時頃に寝につくのであるかと考えて、さきごろ水産講習所教授殖田三郎さんと共に、相模川の支流の串川へ視察に行ったことがある。殖田先....
雪の夜」より 著者:織田作之助
。かねがね八卦には趣味をもっていたが、まさか本業にしようとは思いも掛けて居らず、講習所で免状を貰い、はじめて町へ出る晩はさすがに印刷機械の油のにおいを想った。道....
二面の箏」より 著者:鈴木鼓村
せたが、今もその娘が愛用している。 するとまた、四ヶ月ばかりの後のことだ、私の講習所の支部を大阪に置いてあったがそこへ出稽古に行ったところ、一人の門弟が古箏を....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
、露清韓語科は商業学校に編入される事になった。当時の東京商業学校というは本と商法講習所と称し、主として商家の子弟を収容した今の乙種商業学校程度の頗る低級な学校だ....
四十年前」より 著者:内田魯庵
は在学中二度も三度も婚約の紹介を繰返したので評判であった。 突飛なるは婦人乗馬講習所が出来て、若い女の入門者がかなりに輻湊した。瀟洒な洋装で肥馬に横乗りするも....
指導者としての寺田先生」より 著者:中谷宇吉郎
に、先生の仕事を手伝った主な題目は火花放電の研究であった。ずっと以前、先生が水産講習所へ実験の指導に行っておられた頃の話であるが、その実験室にあったありふれた感....
山椒魚」より 著者:北大路魯山人
を思い出し、その伝でやってみた。 震災前のことだから、大分古い話になるが、水産講習所の所長をしておられた伊谷二郎という人が、山椒魚を三匹手に入れたというので、....
日本の頭脳調べ」より 著者:戸坂潤
には寺尾新氏や西村真琴氏など、随筆家や本職のジャーナリストがいる。寺尾博士(水産講習所)の随筆は、之まであまり認められていないが、良質なものである。産業という実....