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「譜代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

譜代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠義」より 著者:芥川竜之介
あるのは、彼の心もちに何の理解もない、徒《いたずら》に万一を惧《おそ》れている「譜代《ふだい》の臣」ばかりである。「己《おれ》は苦しんでいる。が、誰も己の苦しみ....
籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
児の彼は主人の家に引き取られて二十歳《はたち》の今年まで養われて来た。侍でいえば譜代《ふだい》の家来で、殊に児飼《こが》いからの恩もあるので、彼はどうしても主人....
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
みにして、お時はお縫に泣いて別れた。 帰りぎわに用人の三左衛門にも逢った。彼は譜代《ふだい》の家来であった。五十以上の分別ありげな彼の顔にも、苦労の皺《しわ》....
両国の秋」より 著者:岡本綺堂
六百五十石で、旗本のうちでもまず歴々の分に数えられているので、用人や給人はすべて譜代《ふだい》である。渡り奉公の中小姓などが並大抵のことでその後釜に据われる訳の....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
かの咎めもある筈ですが、もともと悪気でした事でも無し、殊に幕末多事の際で、幕府も譜代の旗本を大事にする折柄ですから、馬を取り返されただけのことで、そのまま無事に....
鶴は病みき」より 著者:岡本かの子
ような若い男が縁側で私の顔をうかがって居る。掃除した煙草盆を座敷に持って来たH屋譜代の婆やお駒さんは開けっぱなしの声で「へへえ、あれが大川さん御自慢の妹さんです....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
松村も同意した。小幡は先ず用人の五左衛門を呼び出して調べた。かれは今年四十一歳で譜代の家来であった。 「先殿様の御代から、かつて左様な噂を承ったことはござりませ....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
たのであると伝えられている。 大久保相模守|忠隣は相州小田原の城主で、徳川家の譜代大名のうちでも羽振りのよい一人であったが、一朝にしてその家は取潰されてしまっ....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
家康への加勢として 稲葉 通朝(兵千余) 徳川家康の部将中、酒井石川は譜代だが、小笠原与八郎長忠だけは、そうでない。小笠原は、元、今川家の大将で武功の....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
遇したからである。相良は筑前の人間で義隆に仕えたが、才智人に越え、其の信任、大内譜代の老臣陶、杉、内藤等に越えたので、陶は不快に感じて遂に義隆に反して、天文十九....
真田幸村」より 著者:菊池寛
が、附いてしまった。 城中詮議の結果、守将たることを命ぜられた。しかし幸村は、譜代の部下七十余人しかないので辞退したが、後藤が、「人夫ども迄が、真田丸と云って....
番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
い、しかもまだ独身である。一家の取締をするのは用人の柴田十太夫たった一人で、彼は譜代の忠義者ではあるが、これも独身の老人で元来が無頓着の方である。そのほかには鉄....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
で置けばもういいと思ったので、権右衛門は早々に若殿の前をさがった。彼は師直一家の譜代の家来ではない。若い時からただ足軽としてその組下に付いたのであるが、生まれ付....
清心庵」より 著者:泉鏡花
そんならそうとして、話は早い方が可いが、千ちゃん、お聞き。私だって何も彼家へは御譜代というわけじゃあなしさ、早い話が、お前さんの母様とも私あ知合だったし、そりゃ....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
はもと秋元家の泰安寺の址で、その庭園は今もなお当時の林泉のままだという。秋元家は譜代の大名として、たびたび転封の経験を有し、この山形では明和四年に武州川越から移....