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譜代大名
「譜代大名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
譜代大名の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
れに井伊《いい》本多、酒井榊原《さかいさかきばら》の徳川四天王をはじめ二十三家の
譜代大名。これらの容易ならぬ大名に、それぞれ各家の侍臣が付き添い、警固の者お徒侍....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
たのであると伝えられている。 大久保相模守|忠隣は相州小田原の城主で、徳川家の
譜代大名のうちでも羽振りのよい一人であったが、一朝にしてその家は取潰されてしまっ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ら、西は大津から東は追分までの街道筋に当たる諸藩の領地を見渡しただけでも、どこに
譜代大名のだれを置き、どこに代官のだれを置くというような、その要所要所の手配りは....
「元禄十三年」より 著者:林不忘
能。高砂《たかさご》に、三番叟《さんばそう》。名人鷺太夫がつとめる。御三家、老若
譜代大名、諸番がしら、物頭、お医師まで拝観、とある。おぼえておけ。」 吉良は、....
「旅愁」より 著者:横光利一
別の理由のあるのが後に分った。
母の実家の滝川家の先祖は、士族とはいえ徳川系の
譜代大名の士族ではなく、その以前の最上義光の家臣であった。最上家が上杉謙信の枝城....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
うというのであります。 おりから関東武士の面目というものは、旗本の間にはなく、
譜代大名の中にもなく、辛《かろ》うじて彼ら田舎武士《いなかざむらい》の間に残って....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
おのずから切迫の真剣味につりこまれて、 「そうさなあ――今の旗本で、同じ徳川でも
譜代大名は別物として、直参のうちで、人らしい人、人も許し、我も許そうというほどの....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
》の日で、御玄猪《ごげんちょ》のお祝い、大手には篝火《かがりび》をたき、夕刻から
譜代大名が供揃い美々《びび》しく登城して、上様《うえさま》から大名衆一統へいのこ....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
まらざるを得なかった。 「上は三十七万石の毛利という外様の大名から、下は一万石の
譜代大名まで、外聞を憚っての深夜の会合。いずれ重大の相談事が執行われるに相違ある....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
おいて、その翌日には、山下門内の鍋島さまの廐。ここでは白馬だけえらんで四匹。……
譜代大名の廐でやられなかったところは一つもないと言ってもいいくらい。……なにしろ....
「つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
である。 一口に旗下八万騎といっても、実数は二万五千から三万人、その中に一万石
譜代大名に近い一《ぴん》から槍一筋馬一頭二百石の十《きり》まであって、饗庭はどっ....
「武鑑譜」より 著者:服部之総
位《じゅごい》にいたる廷臣としての序列でならんでいる。武鑑の御老中の欄に交替した
譜代大名はおおむね従五位のならび大名と化しており、正二位は広島の浅野ただ一人、か....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
いる家康がここに滞在しているからではない。城普請は、徳川の戦後政策の一つだった。
譜代大名の心を弛緩させないために。――また、外様大名の蓄力を経済的にそれへ消耗さ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ここの陣々にある阿曾、名越、大仏、佐介、金沢、塩田などの諸将はみな北条の一族やら
譜代大名なので、ともすれば、 「なにを、円喜の子が」 と、その軍令なども軽んじ....