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警固
「警固〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
警固の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠義」より 著者:芥川竜之介
に新しい柿の帷子《かたびら》を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、
警固《けいご》した。――この行列は、監物《けんもつ》の日頃不意に備える手配《てく....
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
》って来た。彼は藻をひと目見てあっと驚いたが、そばには立派な侍が物々しい顔をして
警固しているので、彼はむやみに声をかけることも出来なかった。となりの陶器師の店の....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
谷の奉公人だろう。大勢の奉公人のうちには忠義者があって、よそながら主人のむすめの
警固に来ているらしい。甚五郎の床店へ髪を束《たば》ねに来たという二人連れの男が確....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の独り歩きは出来ません。東禅寺に詰めている幕府の別手組《べつてぐみ》の侍ふたりが
警固と案内をかねて、一緒に付いて来ました。異人三人も別手組ふたりも、みんな騎馬で....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
らと降っていた。伝兵衛も伝四郎も町はずれまで送って来た。千倉屋の若い者二人は彼の
警固をかねて領ざかいまで附き添って来た。 隣国の他領へはいって、千倉屋から指定....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
外へ出たがるらしい様子である。さりとて滅多に出してもやられないので、代るがわるに
警固しているあいだに、あるとき番人の隙をみて、すっぽんは表へ這い出した。又もや大....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
の座に着いた。広間の庭は、織田家の侍八百人余り、勝家の供侍三百余と共に、物々しい
警固だつた。一座の長老勝家、先ず口を開いて、織田家の御世嗣には御利発の三七信孝殿....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
しむべし」と命令した。道場の周囲には既に七百の武装民が集って居た。間もなく四郎は
警固の者四五十人と共に、島原の大江村に渡った。首謀者達は此処で相談した結果、先ず....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
のようにあたりを照らすかと見るうちに、大勢の家来らしい者どもが緋の着物をきた人を
警固して来た。人はここの家の主人がゆうべ見た通りに、几にむかって書物を読みはじめ....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
々にも伝えてくりゃれ。」 「はっ。しかしこうしてお迎いにまいりしからは、道中の御
警固つかまつりませいでは……。」 「いや、わたしの道連れは采女一人でよい。そなた....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
ず、僅かに京都附近の空閑の荒地を求めて住みついた落伍者の謂であった。そして掃除・
警固・遊芸その他の雑職に従事し、或いは日雇取を業としておったものであった。これら....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
うところ「神明高貴の庭※を窺ふ能はず」とあるのは、明らかに事実ではない。祇園祭の
警固に立った犬神人は靴作で、もとエタと同類であった。その他の祭礼の
警固にも、この....
「来り人の地位と職業」より 著者:喜田貞吉
村人の為に使い歩きや物の取片付けや、火の番や、腕っ節の強いものならば泥棒に対する
警固やなどの如き、村人のいやがる職務を引受けて、生活の資を求めて行くに至るのは、....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
の贈与を要求する。盗賊追捕の際にはその衣服を与えられる等の権利を与えられ、町方の
警固なり、その雑役に任じていたのである。そしてこの事は徳川時代に各地のエタが与え....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
神人すなわち弦召などが有名である。 東寺では、散所法師という名称のままで、寺の
警固掃除の任に当っておった。彼らは京の信濃小路通猪熊の西に散所部落を成していたも....