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「譲位〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

譲位の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
後鳥羽院熊野御幸記』にも見るごとく、この上皇関東討滅を熊野に親しく祈らんため、御譲位後二十四年一回ずつ参詣あり、毎度この社辺に宿したまい(御所谷《ごしょたに》と....
倫敦塔」より 著者:夏目漱石
ゅうがん》さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に譲位《じょうい》をせまったのはこの塔中である。僧侶、貴族、武士、法士の前に立って....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
を人質にして外国交易の勅諚を強請する手段であり、もしそれもかなわなかったら帝の御譲位をすら謀ろうとする心底であって、実に徳川将軍を不義に引き入れ、万世の後までも....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
くてはかなわぬ場合である、慶喜らはそれを言って、固く執ってやまなかった。この辞職譲位は幕府の老中らも心から願っていることではもとよりない。とうとう、将軍は伏見か....
十二支考」より 著者:南方熊楠
の詳細を極めんとの用意が過ぎて、下気出る時の様子までも載せあった。昔は帝堯が己に譲位すべしと聞いて潁川《えいせん》に耳を洗うた変物あり、近くは屁を聞いて海に入り....
辞典」より 著者:戸坂潤
念がその行く処まで行き着いて了ったことを意味するだろう。ここにはすでに観念自身の譲位が、観念論の終焉が、用意されている。人々は之をドイツ観念論の終焉として、ヘー....
源氏物語」より 著者:紫式部
冊立《さくりつ》があるはずであった。源氏は中将から参議に上《のぼ》った。帝が近く譲位をあそばしたい思召《おぼしめ》しがあって、藤壺《ふじつぼ》の宮のお生みになっ....
源氏物語」より 著者:紫式部
て御即位後のことをなつかしい御様子でお教えあそばした。 この同じ月の二十幾日に譲位のことが行なわれた。太后はお驚きになった。 「ふがいなく思召すでしょうが、私....
源氏物語」より 著者:紫式部
心《おおみこころ》におかけあそばすことではございません」 などと源氏は言って、譲位のことを仰せられた帝をお諫《いさ》めしていた。問題が間題であるからむずかしい....
源氏物語」より 著者:紫式部
以前からよくこう帝は仰せられたのであったが、重く御病気をあそばされた時ににわかに譲位を行なわせられた。世人は盛りの御代をお捨てあそばされることを残念がって歎いた....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
した人麿の献ったものである。持統天皇の吉野行幸は前後三十二回(御在位中三十一回御譲位後一回)であるが、万葉集年表(土屋文明氏)では、五年春夏の交だろうと云ってい....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
さいの組織は依存している。彼女の治世の最初の三十年間では彼女の死は旧教の君主への譲位を意味し、そうなれば必然政府の組織も完全に革新され、同時に当時政権を持つ者た....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
。京都宮廷を中心にして、新古今時代のはなやかな歌壇が生れたのは、全く後鳥羽天皇御譲位後、和歌所が設置されるにいたってからのことであった。だから上皇の御意志が働か....
私本太平記」より 著者:吉川英治
あるし、大きな声ではいえませぬが、幕府の策としては、どうしても将来、今上後醍醐の譲位をやむなくさせて、御位を他の君に……という大計の方へ傾いたことにもよるかと思....
私本太平記」より 著者:吉川英治
条の御子)とすれば、待望の季節であった。しきりに密使を関東へやり、早くも後醍醐の譲位を暗に策動しだした。 後醍醐は、暗愚でない。よく知っておいでなのだ。 そ....