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「護国〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

護国の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
年末の一日」より 著者:芥川竜之介
師走《しわす》の心もちのよみ返るのを感じた。 僕等は少時《しばらく》待った後、護国寺《ごこくじ》前行の電車に乗った。電車は割り合いにこまなかった。K君は外套《....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
。だが親父やおふくろが承知するかな」 「夜学に行くことにして出ます」 長三郎は護国寺門前まで漢籍の夜学に通うのであるから、両親の手前はその夜学にゆくことにして....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
いから、爆発してもその爆風は土壌の圧縮によって相当のクッションになるらしい。 ◯護国寺裏の町に爆弾が落ちて、壕内に入れておいた二歳と五歳の幼児が圧死し、母親は見....
運命」より 著者:幸田露伴
指揮使楊文と与に兵を率いて永平を囲み、東より北平を動かさんとしたりという。二子の護国の意の誠なるも知るべし。それ勝敗は兵家の常なり。蘇東坡が所謂善く奕する者も日....
日本脱出記」より 著者:大杉栄
。」 Lは一応の挨拶がすむと、Mの通訳でこう言った。Lは軍人で、朝鮮が日本の保護国となった最初からの(九十五字削除)。 こうして僕は一時間ばかりLと話しした....
ガルスワーシーの家」より 著者:岡本かの子
さと玄関へ出かけて行った。二人の日本人は夫妻の其の態度に老英帝国がインド聯邦を保護国として迎える態度を聯想した。賑やかに入って来た客は印度婦人服独特の優雅で繚乱....
日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
化的になったばかりの国であり且東海の叢爾たる島国である。日本の如きは寧ろ支那の保護国ともいうべきものである。しかるに何んぞ対等の礼を執ったる国書を持来たすとは!....
式部小路」より 著者:泉鏡花
ト向うが勲三等ぐらいな立派な冠木門。左がその黒塀で、右がその生垣。ずッと続いて護国寺の通りへ、折廻した大構の地続で。 こっち側は、その生垣と向い合った、しも....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
化に伴のうて、自然に変遷する場合がもっとも多い。試みに傍例を観察してみると、かの護国の神たる四天王が貞観年間山陰諸国に祭られた中に、ゴコクという名称から誤られて....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
べをして帰られた。で、その取調べの結果を公にしたところで、英領インド政府はその保護国なるシッキムとチベットとの国境を定めようという意向であった。その時分にチベッ....
ある日の午後」より 著者:小川未明
の泣く声がした。ある日の正午頃男が来て大きな声で話をしていた。男は帰る時に、 『護国寺の方に出るには、どう行きます……』と言って女に道を聞いていた。 『そんなら....
エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
際に潰れてしまって、到る処に新しい大名・小名が蜂起する。非人三党の輩といえども守護国司の望みをなすべく、如何ともする能わざるものなりとの東大寺尋尊の述懐は、必ず....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
尊僧正の述懐に、「近日は土民、侍の階級を見ざるの時なり。非人三党の輩といへども守護国司の望をなすべく、左右する能はざるものなり」とも、また「近日は由緒ある種姓は....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
。当時この三党の仲間からいかなる豪傑が出たかは考うるところがないが、実際彼らが守護国司の野心を起しても、他よりこれを如何ともする能わざる時勢であった。したがって....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
せる家がないんだ。』 『ここへ電車が敷けるのか?』 『そんな話なんだがね、音羽の護国寺前から江戸川を渡って真直に矢来の交番下まで来る電車が更に榎町から弁天町を抜....