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「豆州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

豆州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
恩を返す話」より 著者:菊池寛
、兵糧攻めを企てた。が、それも、長くは続かなかった。十二月二十八日、江府から松平豆州《まつだいらずしゅう》が上使として下向《げこう》したという情報に接すると、内....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
の伝六ごときぞんざい者をもってしても、おのずと頭が下がるくらいのものでした。 「豆州か。お出迎えご苦労でござった」 「おことば恐れ入ってござります。道中つつがの....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
一人であったというのは、こういうとき多くの家の子郎党を召し連れていったら、閣老|豆州《ずしゅう》の従者という意味で、将軍が特別の下されものなぞあそばして、そのた....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
たしてあるのが眼についた。湯は菖蒲の湯で、伝説にいう、源三位頼政の室|菖蒲の前は豆州長岡に生まれたので、頼政滅亡の後、かれは故郷に帰って河内村の禅長寺に身をよせ....
真田幸村」より 著者:菊池寛
切腹仰せつけられ候えと頑張りて、遂に父弟の命を救った。時人、義朝には大いに異なる豆州|哉と、感嘆した。 関ヶ原の戦後、昌幸父子は、高野山の麓九度|禿の宿に引退....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
三郎――その船は、いつぞや柳橋の船宿へ、そのころ日本唯一の西洋型船大工といわれた豆州《ずしゅう》戸田《へだ》の上田寅吉を招いて相談した通り、シコナと千代田型を参....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
「殿様、ビームの付け方をもう一度、検分していただきとうございます」 この男は豆州戸田の上田寅吉の高弟で、ここの造船係の主任です。師匠うつしで、今でも駒井に向....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
田型の細長い船とが、上下に二つ描かれてあるのであります。 船大工の寅吉、これは豆州《ずしゅう》戸田の人で、姓を上田と言い、その頃、日本でただ一人と言ってもよろ....
潜航艇「鷹の城」」より 著者:小栗虫太郎
底深い、淵のような黝ずみが現われ出るのである。 その、巨大な竜骨のような影が、豆州の南端――印南岬なのであった。 ところがそのおり、岬のはずれ――砂丘がまさ....
三甚内」より 著者:国枝史郎
これより名を甚内と改め、相州平塚宿にしばらく足を止どめて盗賊の首領となり、後また豆州箱根山にかくれて、なお強盗の張本たり。 後再び江戸に入る。云々」 で、その....
つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
の入道雲が立っているがあれこそ国難の兆《しるし》であろう――流言|蜚語《ひご》、豆州《ずしゅう》神奈川あたりの人は江戸へ逃げ込むし、気の早い江戸の町人は在方を指....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
んえん》の『本草図譜《ほんぞうずふ》』巻之四十八に、ササユリの一名として、サク(豆州三倉島方言)、イネラ(八丈島方言)の名が挙げてあるが、このサクとイネラとはサ....
妖怪学」より 著者:井上円了
存在せる妖怪の霊を呼びて、その装置の場所に招くの意をあらわすものなり。余、先年、豆州にありて聞くところによるに、同国下田港近辺は日本全国中最初に流行し、当時その....
妖怪玄談」より 著者:井上円了
に、その流行の情況、あたかも波及の勢いをなせり。けだし、そのはじめて起こりし地は豆州にして、その地よりコックリの報道を得たるは一昨年にあり。その後数カ月を経て、....
秋の修善寺」より 著者:岡本綺堂
根を浸してあるのが眼についた。湯は菖蒲の湯で、伝説にいう源三位頼政の室菖蒲の前は豆州長岡に生れたので、頼政滅亡の後、かれは故郷に帰って河内村の禅長寺に身をよせて....