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豊原
「豊原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
豊原の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「縮図」より 著者:徳田秋声
二年かで御輿をあげ、そちこち転々した果てに樺太まで乗し、大泊から汽車で一二時間の
豊原で、有名な花屋に落ち着いたのだったが、東京へ舞い戻って芳町へ現われた時分は、....
「新版 放浪記」より 著者:林芙美子
しかけていた。寝ながら他人の話を聞くのも面白いものだ。
「私でしか……樺太です。
豊原《とよはら》って御存知でしか?」
「へえ、樺太から? お前一人で来たのかね?....
「道標」より 著者:宮本百合子
た、それで、何時ごろお帰りです?」
ときいた。
「早めに帰っていただかなけりゃ。
豊原さんたちのお迎えが何時ごろ来るのか、わたしは伺っていませんよ」
「大丈夫だ、....
「しかし昔にはかえらない」より 著者:宮本百合子
面」埴原一丞の文章の小原壮助に着目されている部分ではこうかいている。一九四七年、
豊原市に二十人位の文学志望者があって、新聞『新生命』を中心に樺太文学協会をつくろ....
「放浪記(初出)」より 著者:林芙美子
俊ちゃんに話かける。寝ながら他人の話を聞くのも面白い。 「私でしか……樺太です。
豊原って御存知でしか?」 「樺太から? お前一人で来たのかね。」 「えゝ!」 「....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
似顔絵で、各座の狂言の替るたびに必ず二種や三種の三枚続きが出版された。その画家は
豊原国周を第一として、次に梅堂国政、楊州周延などで、芳幾はあまり錦絵を描かないよ....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
貞の後《のち》には二代目国貞(明治十三年歿)、五雲亭貞秀《ごうんていさだひで》、
豊原国周《とよはらくにちか》(国周は二代国貞門人)らあり。国芳の門下には芳虎《よ....
「汽船が太平洋を横断するまで」より 著者:服部之総
月には正式に報告する。やがて、熱病的なゴールドラッシュ! 今日のネブラスカの大
豊原は、そのころ「大亜米利加沙漠《グレートアメリカン・デザート》」だった。その沙....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
駕輿丁の雑人をつれていたわけでもないので、そのおん輿は、大膳ノ大夫|重康、楽人の
豊原兼秋、随身の秦久武などが、馴れぬ肩に、舁きまいらせたとのことであるから、途上....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
に伺う。 数時間後は、むかしの参宮街道を、車で走っている。黄塵ばくばくの中に、
豊原、斎宮などという町の家並が過ぎてゆく。伊勢らしい在所風景、どの家も、商家らし....
「雪」より 著者:中谷宇吉郎
測結果では、気温が比較的高く零度に近い時に降っている。畠山氏が樺太《からふと》の
豊原《とよはら》で同様の観測をされたが、その時も気温の比較的高い時に降っている由....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
する私たちの使用車だというのだから驚く。 西海岸の真岡から、樺太庁の所在地たる
豊原まで、二十余里の山野を、蝦夷松、椴松、白樺の原生林を技けて、怪獣のごとくまた....