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「豊国〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

豊国の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
白蟻」より 著者:小栗虫太郎
なぜそうしなくてはならぬかと申せば、大谷勇吉の『顔粧《かおつくり》百伝』や三世|豊国《とよくに》の『似顔絵相伝』などにも挙《あ》げられておりますとおりで、鉄漿を....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
ことと思う。ただあの辺りの風景にして気にかかる構成上の欠点は、図書館の近くにある豊国神社の屋根と鳥居である。あれは、誰れかが置き忘れて行った風呂敷包みであるかも....
死者の書」より 著者:折口信夫
まった。その頃になって、天真宗豊祖父尊様がおかくれになり、御母 日本根子天津御代豊国成姫の大尊様がお立ち遊ばした。その四年目思いもかけず、奈良の都に宮遷しがあっ....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
は有間皇子が、「天与知」と答えられた、その赤兄である。 ○豊国の鏡の山の石戸立て隠りにけらし待てど来まさぬ 〔巻三・四一八〕 手持女王 石....
豊島与志雄氏の事」より 著者:芥川竜之介
ってからの事だったと思う。 初めて会ったのは、第三次の新思潮を出す時に、本郷の豊国の二階で、出版元の啓成社の人たちと同人との会があった、その時の事である。一番....
一枚絵の女」より 著者:国枝史郎
た時もそうだった。栄之の描いた時もそうだった。衣裳は俺が買ってやったものだった。豊国が今度描くという。 どうしても俺が買ってやらなければ。 新樹、つり忍、羽....
泉鏡花先生のこと」より 著者:小村雪岱
した。丁度、久保|猪之吉氏が学会で九州から上京され、駿河台の宿屋に泊っておられ、豊国の描いた日本で最初に鼻茸を手術した人の肖像を写すことを依頼されて、その宿屋に....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
った。『優曇華物語』の喜多武清の挿画が読者受けがしないで人気が引立たなかった跡を豊国に頼んで『桜姫全伝』が評判になると、京伝は自分の作が評判されるのは全く挿絵の....
歌麿懺悔」より 著者:邦枝完二
ものの、それでもさすがに歌麿のもとへは各版元からの註文が殺到して、当時売れっ子の豊国や英山などを、遥かに凌駕する羽振りを見せていた。 きょうもきょうとて、歌麿....
夫人利生記」より 著者:泉鏡花
天守を叙した、その城の奥々の婦人たちが丹誠を凝した細工である。 万亭応賀の作、豊国|画。錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで....
註文帳」より 著者:泉鏡花
かりで日の暮れるまでに頭の数五|百と六十が処片づけたという奇特な話。 その崩が豊国へ入って、大廻りに舞台が交ると上野の見晴で勢揃というのだ、それから二|人三人....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
豊臣太閤の認めている賀川市長は、何人が推薦するより有力な推薦者を持っている。彼は豊国神社の主神と交通があるところから見ると、神ながらの道に通じ、あるいは天照大御....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
沙門等の称はあるが、法師の通称はみえておらぬ。用明天皇二年、帝病あり、皇弟皇子等豊国法師を引いて内裏に入れたとあるのが、僧侶としての法師の語の初見である。次に崇....
雷門以北」より 著者:久保田万太郎
とめることが出来なかったのである。銀行といえば、手近に、並木通りの浅草銀行(後に豊国銀行)の古く存在するばかりだったのである。――「大風呂」のすでに失われた今日....
自来也の話」より 著者:岡本綺堂
姿にして、田舎源氏の光氏式に描かせた趣向がひどく人気に投じたらしい。画家は二代目豊国である。 「児雷也豪傑譚」の初編の出たのは天保十年で、作者も最初から全部の腹....