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象山
「象山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
象山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「星座」より 著者:有島武郎
るまいが東京には University《ユニヴァーシティ》 という大学があって、
象山先生の学問に輪をかけたような偉い学問ができる。そこに行くと俺でも Stude....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の人、吉田松陰は当時の厳禁たる異国への密航を企てて失敗し、信州|松代の人、佐久間
象山はその件に連座して獄に下ったとのうわさすらある。美濃の大垣あたりに生まれた青....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
した。その暮れになって見ると、天王山における真木和泉の自刃も、京都における佐久間
象山の横死も、皆その年の出来事だ。名高い攘夷論者も、開港論者も、同じように故人に....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
りな相違がある。今さら、「東洋は道徳、西洋は芸術(技術の意)」と言ったあの佐久間
象山を引き合いに出すまでもなく、開港以前の洋学者はいずれもこの国に高い運命の潜む....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
い。もし日本の者ならば、長崎の高島秋帆《たかしましゅうはん》先生か、信州の佐久間
象山《さくましょうざん》先生あたりの部屋を見るようだわい」 こう言ってしきりに....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
心は、人の心ではわからない、人の心は、馬の心ではわからないものがある。 佐久間
象山が、京都の三条通木屋町で、肥後の川上|彦斎《げんさい》ともう一人の刺客に襲わ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
と祟《たた》りがあるとは奇怪千万」 元治《がんじ》元年に京都で暗殺された佐久間
象山の門生が二人――ちょうどこの宿屋に泊り合せていたのが肯《うけが》いません。 ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ました。 仏頂寺の註釈通り、肥後の川上彦斎は甚だ穏かでない男であります。佐久間
象山を殺したのも、実はこの男でありました。
象山を殺しておいて、なにくわぬ面《かお....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
とは違いましょう、日蓮上人の偉さとも違いましょう、また近代のこの信濃の国の佐久間
象山の偉さとも違いましょう、一茶の偉さは、英雄豪傑としての偉さではありませんよ、....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
か佳いものだから看過しない方がよいとおもう。 ○ み芳野の
象山の際の木末には幾許も騒ぐ鳥のこゑかも 〔巻六・九二四〕 山部赤人 聖武天皇....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
中に二人の弟子が有って出藍の誉を謳われた。即ち、一人は川路聖謨、もう一人は佐久間
象山であった。
象山の弟子に吉田松陰があり、松陰の弟子には伊藤、井上、所謂維新の元....
「前記天満焼」より 著者:国枝史郎
1 ここは大阪|天満通の大塩中斎の塾である。 今講義が始まっている。 「王陽明の学説は、陸
象山から発している。その
象山の学説は、朱子の学から発している。周濂溪、張横渠、程....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
戸が騒ぐよりも前に、京都の天地の方が、面白そうだ。吉田松陰が捕えられたし、佐久間
象山が捕えられたし、斉彬公の御代になるのを待って、錦旗を乞うて、一戦仕出かすには....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
水兄は書物においてあえて読まないものはなく、すでに泰西の文字に通じ、また朱熹・陸
象山の学術にも通じ、まことに東方の博雅の士である。いままさに別れんとす、これにさ....
「県歌 信濃の国」より 著者:浅井洌
詠みてぞ伝えたる 五 旭将軍|義仲も 仁科の五郎|信盛も 春台太宰先生も
象山佐久間先生も 皆|此国の人にして 文武の誉たぐいなく 山と聳えて....