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貝原益軒
「貝原益軒〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
貝原益軒の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
課の中に恋愛に関する礼法のないのはわたしもこの女学生と共に甚だ遺憾に思っている。
貝原益軒
わたしはやはり小学時代に
貝原益軒《かいばらえきけん》の逸事を学んだ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
もあって、予は英国で一回わが邦で二回市街で人の多く見る所で猫が交わるを見た。また
貝原益軒は猫の特質として死ぬ時の貌いかにも醜《みぐるし》いから必ず死ぬ態を人に見....
「映画と生理」より 著者:寺田寅彦
いるような人間にはそうした効果が存外に著しいかもしれないと思われる。昔の人間でも
貝原益軒や講談師の話の引き合いに出る松浦老侯のごときはこれと同じ種類に属する若返....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
いじゃ。孟子とルッソー、大塩とクロムウェルを同視したり、甚だしきは、米国学者が、
貝原益軒は共和政治を主張したと言ったとて感心しいる人もある故、一言し置く。 『日....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
り(グベルナチス『動物譚原』二巻一一頁)。猪の美質を挙げた例このほか乏しからず。
貝原益軒は、猫は至って不仁の獣なるも他の猫の孤児を乳養するは天性の一長と称讃した....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
いたままで進んで来た。 福沢諭吉は「女大学評論」の冒頭で、先ず「女大学」の著者
貝原益軒が社会的なあらゆる立脚点で「男女を区別したるは女性の為に謀りて千載の憾と....
「女性の歴史」より 著者:宮本百合子
あわざるものは去る。子供を生まねば去る。嫉妬ふかければ去る。七去の掟ということが
貝原益軒の「女大学」のなかに堂々とあげられている。妻たるものは早く起きて遅く寝る....
「三つの「女大学」」より 著者:宮本百合子
も一縷のつながりをもってつたわっている。そのことは感じられるのではないだろうか。
貝原益軒が、「女大学」と呼ばれて徳川時代ずっと女の道徳の標準となった本をかいたの....
「女性の歴史の七十四年」より 著者:宮本百合子
かし、福沢諭吉はこの明治三十二年に六十六歳で「女大学評論」「新女大学」を発表し、
貝原益軒流の女庭訓でしばられた日本の女の社会的な向上のために周密真摯な努力と具体....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の文章からして、従来の漢学臭味《かんがくしゅうみ》を脱している上に、平易明快で、
貝原益軒《かいばらえきけん》をもう少し大きく、明るくしたような書きぶりが頭に残り....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
に念じたる結果、やむなく口外に出《い》でたるものと思えば、これ実に天の声である。
貝原益軒《かいばらえきけん》がものせる『大和俗訓《やまとぞっくん》』の中に、忠告....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
意味なのか。書物に赤麻《アカアサ》の約と出ているが、この想像説には信を措き難い。
貝原益軒《かいばらえきけん》の『日本釈名《にほんしゃくみょう》』には「藜《アカザ....
「カキツバタ一家言」より 著者:牧野富太郎
る漢名を用いたのが長い年の間続いたが、今から二百三十四年前の寛永六年にいたって、
貝原益軒はその著『大和本草』でカキツバタが杜若であるという昔からの古説を否定し、....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
思われるのである。これは精査を要することであるが、一、二の例をあげていうときは、
貝原益軒は福岡から出で、将軍吉宗の天文観測の顧問になりかつ日本の楽律を作った中根....
「読倫理教科書」より 著者:福沢諭吉
、無益の論なりとの説もあらんなれども、鄙見《ひけん》をもってすれば決して然らず。
貝原益軒翁が、『養生訓』を著わし、『女大学』を撰して、大いに世の信を得たるは、八....