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「貞享〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

貞享の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
上げます。 二 男達《おとこだて》と云うものは寛永《かんえい》年間の頃から貞享《ていきょう》元禄《げんろく》あたりまではチラ/\ありました。それに町奴《ま....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
になって、ある年は唐船三、四十|艘を数え、ある年は蘭船四、五艘を数えたが、ついに貞享元禄年代の盛時に達した。元禄元年には、実に唐船百十七艘、高麗船三十三艘、蘭船....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
かだ。 但し、これまでの名称は踊子とて、これは寛文頃京坂に始まり、江戸では天和貞享の頃からで、その時までは白拍子、遊女などに酒興を幇けさしていたのを、やがてそ....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
た。 西鶴は俳諧師で、三十八の歳|延宝八年の頃、一日に四千句詠じたことがある。貞享元年に二万三千五百句を一日一夜のうちによんだ。これは才麿という人が、一日一万....
和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
ある。 〈十一 和算と社会〉 関孝和が江戸から出て和算を創始した時代に当たり、貞享の改暦をよくした渋川春海は、近畿の人であった。寛政の改暦は大阪の暦学者高橋至....
文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
ようになる、現行暦法の不完全なことが知られて、革新の機運が開ける。こんな風にして貞享の改革はできたのである。その改暦の功労者渋川|春海《はるみ》は数学者でなくし....
ながうた勧進帳」より 著者:酒井嘉七
「(長唄)江戸歌舞伎の、劇場音楽として発達したものである。創始者は明確でないが、貞享、元禄年間に、上方から江戸へ下って来た、三味線音楽家、杵屋一家の人々が、歌舞....
俳人蕪村」より 著者:正岡子規
おいても蕪村は俳句界独歩の人なり。 句法 句法は言語の接続をいう。俳句の句法は貞享《じょうきょう》、元禄に定まりて享保、宝暦を経て少しも動かず。むしろ元禄に変....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
尤も長崎から上方に来たのはかなり古い時代で、西鶴の作にも軽焼の名が見えるから天和貞享頃には最う上方|人に賞翫されていたものと見える。江戸に渡ったのはいつ頃か知ら....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
いう噂を聞いた事もある。その頃|偶っと或る会で落合った時、あたかも私が手に入れた貞享の江戸図の咄をすると、そんな珍本は集めないよ、僕のは安い本ばかりだと、暗に珍....
皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
は記載してない。正保図には利根勢多二郡及|下野との境に「さく山」と記入してある。貞享元年九月二十九日の序ある古市剛の『前橋風土記』には、山川部の根利諸山の項に、....
間人考」より 著者:喜田貞吉
て土着民には無之候。隠岐国に於ては百姓の次に位する間脇と称する階級ありたるのみ。貞享四年隠岐島各村の統計を編綴したる隠州記といふ書には、島後の島内村数四十九箇村....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
訣を奪い取るか、でなければ、それが偽物であるのを観破して私の夢を安らかにし度い。貞享二年十二月二十五日、聖者白隠は駿河国駿東郡原駅で生れた。家柄は士筋の百姓であ....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
。 著者黒川道祐が何に拠ってこの言をなしたかは今これを知る事が出来ぬが、天和・貞享の古えに於いて、彼がかく判然たる記事をなすべく、確かな伝説のあったものと解せ....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
らにその先は聖武天皇の裔で、母は清原氏だと余程古いところまで及んでいる。しかるに貞享二年の「蓮公年譜」に至っては、遠く藤原鎌足からその系図を引いて、彦根藩主井伊....