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貞治
「貞治〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
貞治の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
学部へ入学して目下勉強のところ。同君の父君は元海軍大将、元外相、元日鉄会長の豊田
貞治郎氏である。 ◯きょうの「朝日新聞」の報道に、中国の映画俳優が戦犯として裁判....
「旅愁」より 著者:横光利一
なのを皆集めてやらしてみても、誰にも出来ないんだね。そうすると、それを日本の高木
貞治、――あの数学の博士がわけもなく証明してのけたというんだよ。」
日本人の能....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
鶏鳥権現と書きある由(『郷土研究』二巻八号、尾芝氏説)、しかるに『真本細々要記』
貞治《じょうじ》五年七月の条に、伏見鶏足寺見ゆれば畿内にもあったのだ。蔵王権現は....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
死んだなら拾って参るがよい。今、改めて、師匠に譲ろう。そうじゃ。庄吉には、小刀の
貞治信綱を譲ろう。成る程、よいところへ、眼をつけた」
「困ったなあ。今のは、※で....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
合した滑稽談があるが、この中間法師は実に当時の所謂下司法師であった。東寺執行日記
貞治二年正月条に、同寺所属の下司法師たる散所法師の事を「間人散所法師原」と書いた....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
河原に居た川原者と相対して、しばしばその名が古書に見えているものであった。師守記
貞治三年六月十四日条に、祇園の犬神人たる弦差と田楽法師との喧嘩の事を記して、 田....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
えた。これが『新千載和歌集』である。 『新千載集』の後数年たらずして、後光厳院の
貞治二年(正平十八年)に足利|義詮の奏請で、撰集の勅命が二条為明に下ったが、翌三....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
子高秀が、父道誉の還暦に筆をとり、それに道誉自身が、自賛まで添えているのである。
貞治五年、ちょうど五百九十五年前の物だ。 ――見ていると、道誉が何か話しかけて....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
、彼らがあえて穢れたものだとは思われていなかった事がわかります。また南北朝時代の
貞治四年には、四条河原の細工が、祇園社の鳥居建立の穴掘りをしております。四条河原....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
人の由来」(「史学雑誌」第一巻第十三号)発表以来、普通に学者の間には、南北朝の頃
貞治元年の「師守記」の記事にあるという事に認められている。ただこの頃既にこの文字....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
字で、当時はこれらの徒をまで広くエタと呼んでいた事が知られるのである。「師茂記」
貞治四年六月十四日の条に、武家の沙汰として祇園御霊会の神輿を穢多に舁かしめたとあ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
寺にあっては彼らは、実際警固その他人夫として役せられていた。『東寺執行日記』
貞治元年正月二十五日条に、 之由、供僧執行一揆記。 また
貞治二年八月二十三日条....
「日本の頭脳調べ」より 著者:戸坂潤
ものだろうと思う。 数学の世界で多少とも啓蒙的、思想的意義を有っている人は高木
貞治博士や園正造博士だろう。東大名誉教授高木
貞治博士の代数学に於ける世界的功績は....