貸席[語句情報] » 貸席

「貸席〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

貸席の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
土曜夫人」より 著者:織田作之助
村へ来る男は、一人ではめったに来なかった。表向き料理店だが、その実連れ込み専門の貸席旅館だから、女を連れずに来る男もいなかったわけだ。 貴子は大阪で経営してい....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
寝呆けたように揺れていた。豹一はなにか暗澹とした気持になった。 境内を出ると、貸席が軒を並べている芝居裏の横丁だった。胸に痛いようなしょんぼりした薄暗さだと思....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
織し、自分がその胆煎となって毎年の春秋二季に大会を催すことにした。大会は山の手の貸席か又は料理茶屋を会場として、会員一同が半季のあいだに蒐集した新奇の絵馬を持ち....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
切りで、老人は語り出した。 「今の方は御存知ありますまいが、外神田に田原屋という貸席がありました。やはり今日の貸席とおなじように、そこでいろいろの寄り合いをした....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
おてつ牡丹餅の店が私の町内の角に存していたころ、その頃の元園町には料理屋も待合も貸席もあった。元園町と接近した麹町四丁目には芸妓屋もあった。わたしが名を覚えてい....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
の、多くは秋の長夜を利して催すが例である。 設けの席は弟子の多寡にもよるべく、貸席、しもた家、乃至はまたお師匠さん自身の家、招く人の数に準じて座敷幾つかを打ち....
江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
やっこい/\」の水売で、処々にあった水茶屋というのは別なもの、今の待合です。また貸席を兼ねたものです。当時水茶屋で名高かったのは、薬研堀の初鷹、仲通りの寒菊、両....
木の子説法」より 著者:泉鏡花
、奸賊紋太夫を抜打に切って棄てる場所に……伏屋の建具の見えたのは、どうやら寂びた貸席か、出来合の倶楽部などを仮に使った興行らしい。 見た処、大広間、六七十畳、....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
して食べられるものこそ災難だ。 ある時午後三時ごろだというのに、お茶屋の女中を貸席へこの老人が引張り込もうとしていたそうだ。女中は大阪へ最近出たばかりのものだ....
」より 著者:織田作之助
たような薄暗さで、献納提灯や灯明の明りが寝呆けたように揺れていた。境内を出ると、貸席が軒を並べている芝居裏の横丁だった。何か胸に痛いような薄暗さと思われた。前方....
貞操問答」より 著者:菊池寛
のにも、いろいろお金がいるでしょうな。」 「交通費なんか、自弁なんですの。でも、貸席の費用とかお弁当とかそれに宣伝もしなければなりませんし……準備に四、五百円は....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
に連れられてその月浚いをたびたび観に行った。二年に一度ぐらいは近所の武蔵屋という貸席で大浚いを催すのが例で、そのときには本当に鬘や衣裳をつけて踊る。わたしは姉が....
思い出草」より 著者:岡本綺堂
していたが、今は万屋という酒舗になっている。 その頃の元園町には料理屋も待合も貸席もあった。元園町と接近した麹町四丁目の裏町には芸妓屋もあった。わたしが名を覚....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
オリンが初めて横浜へ入荷した時、新らし物好きの椿岳は早速買込んで神田今川橋の或る貸席で西洋音楽機械展覧会を開いた。今聞くと極めて珍妙な名称であるが、その頃は頗る....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
開いたりしたのもその頃のことだった。 その長生館の建物は、その以前清風亭という貸席になっていて、坪内先生を中心に、東儀、土肥、水口などの諸氏が脚本の朗読や実演....