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賀茂川
「賀茂川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
賀茂川の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
れなかったなど、有名な話である。大体彼は建築道楽で、寛正の大飢饉に際し、死屍京の
賀茂川を埋むる程なのに、新邸の造営に余念がない。 彼の豪奢の絶頂は、寛正六年三....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
ちも聞いてるだろうが、むかし阪田藤十郎は、大阪の芝居へ勤める折には、わざわざ京の
賀茂川の水を樽詰にして送らせたものだそうだ。ちょっと聞くと大層贅沢なようだが、藤....
「伯爵の釵」より 著者:泉鏡花
、何処にて舞いて日本一とは申しけるぞ。梶原申しけるは、一歳百日の旱の候いけるに、
賀茂川、桂川、水瀬切れて流れず、筒井の水も絶えて、国土の悩みにて候いけるに、――....
「紫大納言」より 著者:坂口安吾
も知れない筈だということを―― こな微塵に笛を砕いて、焼きすてることを考えた。
賀茂川の瀬へ投げすてて、大海へおし流すことも考えた。穴をほり、うずめることも考え....
「街はふるさと」より 著者:坂口安吾
々の一本ごとに千年来の人骨がぶらさがったり、からまったりしているような気がする。
賀茂川が洪水ごとに山に向って逆流して、河原一面にすてられた屍体を山へ運んでまきち....
「なよたけ」より 著者:加藤道夫
になれないんだわ。 けらお (なよたけを無視して)面白いぞイ! みんなも来いや!
賀茂川の橋の下で石合戦して遊ぶんだ! 勇ましいぞイ! おら敵の大将に石ぶつけて、....
「瀞」より 著者:佐藤垢石
駅へ引き返し、そこで鈴木氏は別れて東京へ帰った。私と伜の二人は、京都へ向かった。
賀茂川の上流の、放流鮎を釣ってみたいと思ったからである。上賀茂にある姪夫妻の家へ....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
六頁)。土佐その他にもこの名称は少くないらしい。しかし河原者や坂の者がいつまでも
賀茂川の河原や清水坂にのみ住んでいなかった様に、谷の者もいつまでも谷にのみ住んで....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
して考えてみるべきものは、「あまべ」というものの性質です。京都の三条通からは南、
賀茂川からは東に当って「あまべ」という一つの部落があります。文字には「天部」また....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
えている。この島田すなわち後々所謂島(小島)の地であろう。鴨河原とはすなわち今の
賀茂川の河原で、当時
賀茂川は勝手に我儘をして、今の京都河原町から寺町あたりにまで....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
ておった。延喜式臨時祭の際に、 。 とある。これは鴨御祖社すなわち下賀茂神社が、
賀茂川の畔にあって、当時濫僧屠者の輩が、いわゆる河原者または小屋者として、都に近....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
があり、下賀茂すなわち賀茂|御祖神社の付近に、その居住を禁止している。御祖神社は
賀茂川と高野川との会流の地にあって、その河原にはこれらの輩が群がり住むが為に、特....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
るにその頃は、木賃宿というような都合のよいものがありませんでしたから、彼らは多く
賀茂川の河原に、空地を求めて小屋住居をしました、いわゆる河原者です。 あるいは....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
であるからこれまた今は略する。さてその河原者と呼ばれたものは、京都にあっては多く
賀茂川の河原に住んでいた。ここにおいてか「延喜式」の規定が必要になったのだ。 ....