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赤城山
「赤城山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
赤城山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「入れ札」より 著者:菊池寛
日の早暁、小松のはえた山腹。地には小笹がしげっている、日の出前、雲のない西の空に
赤城山がほのかに見える。幕が開くと、才助と浅太郎とが出てくる。二人ともうす汚れた....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
しその宿は清潔でもあり、食事も玉子焼などを添えてあった。 たぶんまだ残雪の深い
赤城山へ登った時であろう。西川はこごみかげんに歩きながら、急に僕にこんなことを言....
「白峰山脈縦断記」より 著者:小島烏水
かして、そのまま刷毛で塗ったのではないかとおもうような、紺青色をして、その中にも
赤城山と、榛名山が、地蔵岳と駒ヶ岳の間に、小さく潜んでいた、その最右端に日光連山....
「唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
た、あの遠山の頂を望んで、ほとんど無辺際に投げたのです、と言った。 ――汽車は
赤城山をその巽の窓に望んで、広漠たる原野の末を貫いていたのであった。―― 渠は....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
遂に神の子孫を追うに至ったとき、神の子孫は従者に多くの黄金を背負わせて、いったん
赤城山中へ逃げこんだ。そして黄金を地下に隠した。従者はひそかに村へ戻って五ツの北....
「花咲ける石」より 著者:坂口安吾
ているそうだ。 沼田から尾瀬沼の方へ行く途中に追貝(オッカイ)という里がある。
赤城山と武尊山にはさまれた山中の里であるが、この山中ではこの里が中心のようになっ....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
たのである。 一九五二年二月二十九日というハンパな日に、私は群馬県桐生市という
赤城山麓の織物都市へ引っ越した。 私は引っ越してくるまで知らなかったが、そこは....
「岩魚」より 著者:佐藤垢石
岳、妙義山、淺間山。西東には秩父連山。北方には榛名山、上越国境の谷川岳、武尊山、
赤城山。東北には遠く奥日光の男体山が雪を着て高く聳えるなど、まことに景勝の地を石....
「食べもの」より 著者:佐藤垢石
前橋へ出で、前橋中央駅から上毛電鉄に乗るのであるが、親戚の家は月田の村の奥の奥、
赤城山の中腹にある。粕川駅から、一里半はたっぷりあろう。 月田の親戚では、私の....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
喉を往復して、心臓が破裂しそうだ。遂に、大地へ伸びた。 三 わが上州では、
赤城山の裏側に当たる奥利根の、武尊山の周囲に最も多い。四万温泉にも有名な熊猟師が....
「桑の虫と小伜」より 著者:佐藤垢石
って行った。六、七歳の頃になると、鰻の穴釣りに、私のうしろを魚籠をさげて歩いた。
赤城山麓の方から、榛名山麓の細流まで、二人で鰻の穴を捜し歩いた。前橋の敷島公園に....
「酒渇記」より 著者:佐藤垢石
るように、熟柿に似た呼吸を吹き合う。 それは、私の十七歳の初夏であったと思う。
赤城山へ登山して、地蔵岳から鍬柄峠の方へ続くあの広い牧場で淡紅の馬つつじを眺め、....
「楢の若葉」より 著者:佐藤垢石
たのである。 『帰りましょう』 と、私ははやの口から、鈎をはずしながら答えた。
赤城山の裾は西へ、榛名山の裾は東へ、そのせばまった峡の間に、子持山と小野子山が聳....
「水の遍路」より 著者:佐藤垢石
え、万場へ出て中里村、上野村へ入れば、次第に山の景観は深邃を加え、渓の魚も濃い。
赤城山上の大沼、榛名湖など湖上の釣りも静かな心を養うのに足りた。城沼、多々良沼な....
「入れ札」より 著者:菊池寛
上州岩鼻の代官を斬り殺した国定忠次一家の者は、
赤城山へ立て籠って、八州の捕方を避けていたが、其処も防ぎきれなくなると、忠次を初....