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「赤穂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

赤穂の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
はすつる、うきよの月にかかる雲なし」と詠じた、その時の満足が帰って来たのである。赤穂《あこう》の城を退去して以来、二年に近い月日を、如何《いか》に彼は焦慮と画策....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
われたのに、しかし、名人は黙念としてまず鋭い一瞥《いちべつ》を与えました。のちの赤穂《あこう》浪士快挙に男を売った天野屋利兵衛《あまのやりへえ》の例を引くまでも....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
「おどろいたな。このほかにまだあるんですぜ。これは暮れの歳暮の到来ものなんだが、赤穂《あこお》だいの塩むしがまるまる一匹と、房州たこのでけえやつもまだ一ぱい残っ....
さようなら」より 著者:田中英光
の悪習を、つい最近、明治の末期まで、否、太平洋戦争中にも美徳と信じていた日本人。赤穂浪士。乃木大将。軍国の処女妻。瓦砕を玉砕と錯覚した今度の戦いの無数の犠牲者。....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の日に煤掃きをする。したがって、十二日、十三日には、煤掃き用の笹竹を売りに来る。赤穂義士の芝居や講談でおなじみの大高源吾の笹売りが即ちそれです。そのほかに荒神《....
死生」より 著者:幸徳秋水
幸福満足を感じて死んだ、而して亦た孰れも真に所謂「名誉の戦死」であった。 若し赤穂義士を許して死を賜うことなかったならば、彼等四十七人は尽く光栄ある余生を送り....
映画雑感(Ⅲ)」より 著者:寺田寅彦
せっかくのクライマックスが少し弱すぎるような気がする。 第二のクライマックスは赤穂城内で血盟の後|復讐の真意を明かすところである。内蔵助が「目的はたった一つ」....
火薬船」より 著者:海野十三
ら、そこでみな立って、日東健児の実力をみせてやるのだ。わしの好きな大石良雄はじめ赤穂四十七義士にも、時に利あらずして、雌伏の時代があったではないか」 サイ....
死刑の前」より 著者:幸徳秋水
を感じて死んだ。そしてまた、いずれも真にいわゆる「名誉の戦死」であった。 もし赤穂浪士をゆるして死をたもうことがなかったならば、彼ら四十七人は、ことごとく光栄....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
に、七年夏四月、丁亥朔、欲矣とある。高市皇子は異母弟の間柄にあらせられる。御墓は赤穂にあり、今は赤尾に作っている。 一首の意は、山吹の花が、美しくほとりに咲い....
保久呂天皇」より 著者:坂口安吾
境にてらしてもよく分るが、貧乏人が辛抱づよいというのはすでに不穏のシルシである。赤穂四十七士のように不穏のタクラミがある時にかぎって貧乏人がジッと我慢するものだ....
赤格子九郎右衛門の娘」より 著者:国枝史郎
書もござんすが、この肩書の塩田というのが、そもそもヤクザの証拠でね、私の国は播州赤穂、塩田事業の多い所で、私の家もお多分に洩れず、山屋といって塩造、土地でも一流....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
か、それは誰にも判らなかった。 彼が姿をかくしてから七十年ほどの後である。播州赤穂郡赤松村に住んでいる藤次郎と雉六の兄弟が、白旗山へ小鳥狩に登って行った。かれ....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
ら出て来た法道という人がある。日本の文化に大なる影響を与えた人であります。播州の赤穂から上陸して法華経山または広峰山という山がある。そこに籠りまして、インドから....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
一人娘があって、その頃の慧鶴とは二つ違いの十七だった。前の年の暮に江戸で行われた赤穂義士の復讐は、当時に在っても世間を震憾させる大事件だった。抜目のない興行師は....