赤貧[語句情報] » 赤貧

「赤貧〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

赤貧の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
駈込み訴え」より 著者:太宰治
なり、「ペテロやシモンは漁人《すなどり》だ。美しい桃の畠も無い。ヤコブもヨハネも赤貧の漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも....
風の便り」より 著者:太宰治
彙《ごい》を以《も》ってしては、ちょっと見つかりそうもありませんから、ただ、私の赤貧の生立ちと比較して軽く形容しているのだと解して、おしのび下さい。)華族の当主....
高島異誌」より 著者:国枝史郎
地方の分限者でござりましたが、父の世に至って家道衰え、両親此世を逝って後は、愈々赤貧洗うが如く、ご覧の通り此拙者、妻帯の時節に達し居り乍ら、妻も娶れぬ境遇ながら....
春の枯葉」より 著者:太宰治
待? ご招待とは情ない。(縁側にどかりと腰をおろし)いかに我等国民学校教員が常に赤貧洗うが如しと雖も、だ、あに必ずしも有力者どもの残肴余滴にあずからんや、だ。ね....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
もないだろうか。農民が都会から家庭に帰郷することによって、都市の失業は農村家庭の赤貧の底無し沼の内に、吸収されて行く。「都会には職はありません」というポスターは....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いによって、学徳は左様に高かったけれども、財縁というものが甚だ薄く、修行時代には赤貧洗うが如く、朝夕の煙もたえがちで、ほとんど餓死に迫ってしまった。そこで、安然....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
しておきたいのは、彼らの全部が、彼の蚊帳を著ておった某公卿のように、洗うがごとき赤貧でもなかったということである。禁裏の供御とても不足がちには相違なかったけれど....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
り、どうしても憶良自身の体験のようであるが、筑前国司であった憶良が実際斯くの如く赤貧困窮であったか否か、自分には能く分からないが、自殺を強いられるほどそんなに貧....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
リーのことであるから、大勢の人と言っても互いに何らの縁故も関係も持たなかった。皆赤貧の部類に属する者たちだった。赤貧の階級は、まず困窮な下層市民から初まり、困苦....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
民衆は拡大して荘厳な個人となっている。権利を有しながら光を有しない貧民はいない。赤貧者といえども自分のうちにフランスの正直さを感じている。公民の品位は内心の鎧《....
握った手」より 著者:坂口安吾
、あらゆる打算のあげくが、この女一人、である。最後の一文という乞食の愛情である。赤貧のドン底だ。無一物。ギリギリのたった一ツ。それにしては綾子は美人だ。映画館で....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
稽な気がした。 しかし私は今では不思議にも滑稽にも思わぬ。物理学者であろうが、赤貧の中学教師であろうが、その父母を愛するのに何の不思議もないように、その祖国を....
大橋須磨子」より 著者:長谷川時雨
《がし》に古本の店を出していた時分は、いまだ時節が到来せず、かなりな苦境におち、赤貧のおりもあったが、姑は良き妻、好《よ》き母であって夫にも子にもその苦しみを訴....
勧善懲悪」より 著者:織田作之助
あとをうけ、慶応三年六月十七日、第九番目の末子として、彼川那子丹造が生れた頃は、赤貧洗うが如きであった。 新助は仲仕を働き、丹造もまた物心つくといきなり父の挽....
志士と経済」より 著者:服部之総
三十四歳)、自分はこの京都にある藩校|望楠軒《ぼうなんけん》で講主をしていたが、赤貧洗うがごとくで、妻帯なぞは思いもよらぬ。かたく断わったが、立斎《りっさい》先....