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越ゆ
「越ゆ〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
越ゆの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「広津氏に答う」より 著者:有島武郎
った境遇と、私の素養とは、それをさせないことを十分意識するがゆえに、私は、あえて
越ゆべからざる埓《らち》を越えようは思わないのだ。私のこんな気持ちに対する反証と....
「デンマルク国の話」より 著者:内村鑑三
こり》に対していいました、
ここまでは来《きた》るを得《う》べし
しかしここを
越ゆべからず
と(ヨブ記三八章一一節)。北海に浜《ひん》する国にとりては敵国の....
「時代閉塞の現状」より 著者:石川啄木
に対する態度を一決して以来)の傾向は、ようやく両者の間の溝渠《こうきょ》のついに
越ゆべからざるを示している。この意味において、魚住氏の指摘はよくその時を得たもの....
「俊寛」より 著者:菊池寛
立って活動する俊寛の姿は、目ざましいものであった。 とうとう、俊寛はその五尺を
越ゆる大魚を征服してしまう。岩の上に釣り上げられた後も、なお跳躍して海に入ろうと....
「海神別荘」より 著者:泉鏡花
朗読す)――紅蓮の井戸堀、焦熱の、地獄のかま塗よしなやと、急がぬ道をいつのまに、
越ゆる我身の死出の山、死出の田長の田がりよし、野辺より先を見渡せば、過ぎし冬至の....
「照葉狂言」より 著者:泉鏡花
ん、小親さん、小六さんの人気おこし、おこしはよしか。」と呼びかけて前の桟敷を跨ぎ
越ゆる。 ここに居て見物したるは、西洋手品の一群なりし。顔あかく、眼つぶらにて....
「小春」より 著者:国木田独歩
十一月二十六日の記、 『午後|土河内村を訪う。堅田|隧道の前を左に小径をきり坂を
越ゆれば一軒の農家、山の麓にあり。一個の男、一個の妻、二個の少女麦の肥料を丸めい....
「わかれ」より 著者:国木田独歩
も消えて跡なく、ただ一年半ば以前よりこの年若き田宮の来たり住みつ。 年は二十を
越ゆるようやく三つ四つ、背高く肉やせたり、顔だち凜々しく人柄も順良に見ゆれどいつ....
「取舵」より 著者:泉鏡花
歳の翁は、手引をも伴れざるなり。手引をも伴れざる七十八歳の盲の翁は、親不知の沖を
越ゆべき船に乗りたるなり。衆人はその無法なるに愕けり。 渠は手も足も肉落ちて、....
「遠野の奇聞」より 著者:泉鏡花
行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。ある薄月夜にあまたの仲間の者と共に浜へ
越ゆる境木峠を行くとて、また笛を取出して吹きすさみつつ、大谷地(ヤチはアイヌ語に....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
また登り始める。 四 雲の奥岳 道はますます嶮しくなる、鋸歯状の小峰を
越ゆること五つ六つ、午後二時二十分、最高峰奥穂高「信飛界、奥穂高岳、徹蔵氏」「信....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ける 雲消ゆる那智の高根に月たけて光を貫ける滝のしら糸 老境の歌、 年たけてまた
越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵なら....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
躙に委せて反抗の気力も失せはて、気息また奄々たるもの、重なり重なり乗り越え、飛び
越ゆるもの、 乳児を抱き、哺乳するもの、 匍い寄り啼き寄る幼獣、 また、強....
「「特殊部落」と云う名称について」より 著者:喜田貞吉
摂政関白などの家人となって、自家の勢力を扶植する。所謂一人の跨に入りて万人の頭を
越ゆるもので、平将門は摂政藤原忠平の家人となって、遂に東国に割拠する迄の素地を作....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
の数が約二十八万三百、そのほか非人雑種の者をことごとく集めたところで、三十八万を
越ゆること、そう多くはなかったのです。ところでそれが今日ではどうでありましょう。....