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「足利義〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

足利義の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
茶の本」より 著者:岡倉覚三
これとともに宋の茶の儀式および茶の理想も広まって行った。十五世紀のころには将軍|足利義政の奨励するところとなり、茶の湯は全く確立して、独立した世俗のことになった....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
しゃべり合っている場面の多いのが、かなりにわたしを苦しめた。立派な殿様(宗十郎の足利義教)が奥庭のようなところで美しい女(半四郎の妾小弁)を手討ちにするようなく....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
羅三郎義光の後で、第十六代信虎の子が信玄である。幼名勝千代、天文五年十六歳で将軍足利義晴より諱字を賜り、晴信と称した。この年父信虎信州佐久の海ノ口城の平賀源心を....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
から辛防出来たろう。それから遂に大自在力を得て、凡そ二百年余も生きた後、応永七年足利義持の時に死したということだ。これが飯綱の法のはじまりで、それからその子|盛....
織田信長」より 著者:坂口安吾
次代に依存する賢明さを、自らの血の歴史から学びとっていた。 それにくらべれば、足利義昭の信長に対する依存の仕方は、確たる定見の欠けたものだ。生家の地位を看板に....
美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
に蔚然たる五山文学の学芸あり、世は南北朝の暗澹たる底流の上に立って興廃常なき中に足利義満等の夢幻の如き栄華は一時に噴火山上の享楽を世上に流通せしめた。この前後の....
神仙河野久」より 著者:田中貢太郎
、わしはもと大和の国の神官で、山中と云う者であったが、わしが人間界におった時は、足利義満や義持が将軍になって、言語道断な振舞をするから、慷慨の余りに山へ入ったの....
巌流島」より 著者:直木三十五
法を編出していたものと見える。一流を樹てると共に彼は諸国巡歴の旅に上った。当時、足利義輝の師範役塚原|卜伝《ぼくでん》は引退して非ず、京師には吉岡|憲法《けんぽ....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
合の多くなって来て、事実上の執政者の間に尚武の気象が旺盛になったという点もある。足利義尚の六角征伐のごときは、藤氏全盛時代の公達《きんだち》には見られぬ現象であ....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
宗《たねむね》は勇武絶倫の将であって、しばしば隣国と戦って大いに捷《か》ち、将軍足利義稙より偏諱《へんき》を賜うて稙宗と名乗り、奥州の探題となって東北を威服した....
十二支考」より 著者:南方熊楠
徳三年頃すでにあったよう見えれば、愚考が万一|中《あた》ると、不毛をかく唱うるは足利義政の世既にあった事となるはずだが、大分怪しいて。 支那の名馬は、周|穆王....
十二支考」より 著者:南方熊楠
けいじつ》『大毎』紙へ出た大正老人の「史家の茶話」に『梅花無尽蔵』三上を引いて、足利義尚将軍の時、既に僧の妻を大黒と呼んだと証した。いわく、長享二年十一月二十八....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
戦いでやがて十七世紀は鎖国令を出している点です。文芸復興の初頭十五世紀、日本には足利義満がいて、能楽が発展していて、平家物語の出来た十三世紀にダンテは「コメディ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
は貴族中の名門でもあり、これが機縁で後には足利家とも通婚した。そしてかの東山殿(足利義政)の妻として、利殖に長け、政治内争をみだし、ついに応仁ノ大乱の一因にもな....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、赤松|貞範なども、帰国ととなえて、次々と都のそとへ去っていた。――つづいて当の足利義詮も、陣装して、何の故か、 「播磨へ行く」 と号し、播磨へは行かず、洛外....