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足掛
「足掛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
足掛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
。 「六三《ろくさ》。よく達者でいてくれた。おれは親父《おやじ》の九郎右衛門だ」
足掛け十年振りで父に突然めぐり合った六三郎は、嬉しさと懐かしさに暫くは口も利けな....
「春の潮」より 著者:伊藤左千夫
気を悪くしないでください」 というのである、おはまは十三の春から省作の家にいて、
足掛け四年間のなじみ、朝夕隔てなく無邪気に暮して来たのである。おはまは及ばぬ事と....
「三人の双生児」より 著者:海野十三
が悪いから、早く客間の方へ上げてよ」 妾に似ているというところを、僅かに安心の
足掛りとして、思い切って会ってみることにした。さあ、どんな男だろうか。一と目見て....
「怪塔王」より 著者:海野十三
ようなものでもあるかと思いましたから、よく気をつけて眺めました。しかしそのような
足掛りになるものは何一つとてなく、全くつるつるした壁でありました。 その時、小....
「夜叉ヶ池」より 著者:泉鏡花
鐘堂を俺が守ろう。その内には、とまた四五日、半月、一月を経るうちに、早いものよ、
足掛け三年。――君に逢うまで、それさえ忘れた。……また、忘れるために、その上、年....
「流線間諜」より 著者:海野十三
帆村は、さも計画を熟知しているような顔をして、この機密に攀じのぼるための何かの
足掛りを得たいつもりだった。 「はッはッはッ」と「右足のない梟」は太々しく笑って....
「成長が生んだ私の恋愛破綻」より 著者:伊藤野枝
るかしれないと信じています。 彼と結婚をするまではまるで無知な子供であった私は
足掛け五年の間に彼に導かれ、教育されて、どうにか育ってきたのです。どうにか人間ら....
「沼夫人」より 著者:泉鏡花
また厄介なのは、縦横に幾ヶ処ともなく、畦の切目があって、ちょいと薪を倒したほどの
足掛が架っているが、たださえ落す時分が、今日の出水で、ざあざあ瀬になり、どっと溢....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
の責任者としての私の態度であります。小櫻姫の通信は昭和四|年春から現在に至るまで
足掛八|年に跨がりて現われ、その分量は相当沢山で、すでに数冊のノートを埋めて居り....
「くろん坊」より 著者:岡本綺堂
お江戸を見物しまして、七日あまり逗留の後に鎌倉へ帰り着きました。それからその寺で
足掛け十六年、わたしが二十六の年まで修業を積みまして、生来|鈍根の人間もまず一人....
「鼠」より 著者:岡本綺堂
沢、富山などを廻って岐阜へまいりました。ひと口に申せばそうですが、そのあいだに、
足掛け三年の月日が経ちまして、旅先ではいろいろの苦労をいたしました。そうして、去....
「恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
郎兵衛はお夏という娘を貰って無事に暮らしていた。お安の消息は知れなかった。それが
足掛け五年目のきょう、思いも寄らない所でめぐり逢って、四郎兵衛は幽霊に出逢ったよ....
「黄八丈の小袖」より 著者:岡本綺堂
、気に染まない婿を無理に取らせたのは、皆阿母さんが悪い。ここの家へお嫁に来てから
足掛け三十年の間に、仕度三昧の道楽や贅沢をして、阿母さんは白子屋の身上を皆な亡く....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
過ぎない位であったが、極めて束縛されない寛大な条件を徳として、予ての素志を貫ぬく
足掛りには持って来いであると喜んで快諾した。かつあたかも語学校の校長|高楠と衝突....
「想い出」より 著者:上村松園
ど致し、その頃は、それこそ血みどろの戦いでございました。楳嶺先生とは師縁が薄く、
足掛二年、明治二十八年私が二十一の時先生が亡くなられましたので、それから栖鳳先生....