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足軽
「足軽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
足軽の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「松江印象記」より 著者:芥川竜之介
いる。なぜといえば、天主閣は、明治の新政府に参与した薩長土肥《さっちょうどひ》の
足軽《あしがる》輩に理解せらるべく、あまりに大いなる芸術の作品であるからである。....
「忠義」より 著者:芥川竜之介
口へ、青網《あおあみ》をかけた駕籠《かご》で出たのである。駕籠のまわりは水野家の
足軽が五十人、一様に新しい柿の帷子《かたびら》を着、新しい白の股引をはいて、新し....
「星座」より 著者:有島武郎
ん》は判らない。
「中島を見ろ、四十五まであの男は木刀一本と褌《ふんどし》一筋の
足軽風情だったのを、函館にいる時分何に発心したか、島松にやってきて水田にかかった....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
沼家でも初めてそれを知って騒ぎ出したのは朝の五ツ(午前八時)を過ぎた頃であった。
足軽と中間《ちゅうげん》が長梯子をかけて、朝霜のまだ薄白く消え残っている大屋根に....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に二、三度くらいはたずねて来るようです」 「屋敷奉公といっても侍じゃああるめえ。
足軽か中間だろうね」 「まあ、そうでしょうね」 「ここの家《うち》へ占いを頼みに....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
喜んで居ります」 「こっちに親戚でもあるんですかえ」 「なんでも芝の方の御屋敷の
足軽を頼ってまいったのだそうでございます。と申しますと、まことに不念のようで恐れ....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
稽古をする。女でさえも其通りですから、まして男でこの屋敷に奉公するほどのものは、
足軽仲間にいたるまで竹刀の持ち様は確かに心得ているというわけで、まことに武張った....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
。其の時の軍令の一端は次の如しだ。 一、差物の儀無益にて候。 一、侍は縄しめ襷、
足軽は常の縄襷|仕るべく候事。 一、惣人数共に常に申聞候、白布にて鉢捲仕るべく候....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
のようだ」といったことがある。 一方妻女山に向った甲軍は午前七時頃妻女山に達し
足軽を出して敵に当らしめたが山上|寂として声なく、敵の隻影もみえない。あやしげな....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
然らざる所に放火して財宝を掠め歩いたのは、全く武士以下の歩卒の所業であった。即ち
足軽の跋扈である。 『長興記』をして、「本朝五百年来此の才学なし」とまで評さしめ....
「錦染滝白糸」より 著者:泉鏡花
――老人田舎もののしょうがには、山の芋を穿って鰻とする法を飲込んでいるて。拙者、
足軽ではござれども、(真面目に)松本の藩士、士族でえす。刀に掛けても、追つけ表向....
「夢のお七」より 著者:岡本綺堂
乗寺の住職はこう語った。 駒込の天沢山龍光寺は京極佐渡守高矩の菩提寺で、屋敷の
足軽がたびたび墓掃除にかよっていた。その
足軽がある夜の夢に、いつもの如く墓掃除に....
「馬妖記」より 著者:岡本綺堂
る。かたがたかの怪しい馬を狩り取れということになって、屈竟の侍が八十人、鉄砲組の
足軽五十人、それぞれが五組に分れて、四月十二日の夜に大仕掛けの馬狩りをはじめた。....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
八犬伝』には余り頻繁に鉄砲が出過ぎる。白井の城下で道節が上杉勢に囲まれた時も鉄砲
足軽が筒を揃えて道節に迫った、曳手・単節が荒芽山を落ちる時も野武士に鉄砲で追われ....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
ぬか。おお、采女もお供か。」 それはやはり武蔵守の家来で、去年の河原いくさには
足軽大将をうけまわったのを誇りとしている荏原権右衛門であった。彼はすぐに鞍壺から....